国民の欲望がつくりだす政治


世界の動きを見ても、民主的な方法・手段と信じられている「選挙」で選ばれた政治家の、気まぐれで思いつきの政策が世界でも、ここ日本でも・・様々な対立・争い・暴力・悲惨・破壊をもたらしている。

それを支えている国民とは、私たちひとりひとりの総和ともいえるが、それは個人の願望・欲望なのであって、その土台には『この競争社会で競争に勝ち残り、地位・財産をいかに多く勝ち取るか」があって、その闘いは生まれたときからの親の子育て・教師・指導者による学習と言われている訓練によって強化される。

それは子どもたちが本来持っている「動物や草花や他者に対する感受性・興味・関心」は次第に失われ、先に生まれたものが自分の優位性を保つために、知識・経験・習慣・伝統という過去を持ち出して、後輩を従うように強制する手段としてしばし使うことになる。

政治がやっている「対立・ウソ・ゴマカシ」は、私たちの欲望の集約であり、対立の姿であることが見えてくる。

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(日曜に想う)政官中枢、荒んだ「卑」の景色 編集委員・福島申二  朝日 2018年4月29日

 昭和映画の名匠だった小津安二郎の言葉が、このところ胸に浮かぶ。

 「人間は少しぐらい品行は悪くてもいいが、品性は良くなければいけないよ」

 これは小津の生き方の芯であり、人を見る基本でもあったらしい。小津の求めた品性とは、いわば精神のたたずまいであろう。「品行は直せても品性は直せない」としばしば口にしたそうだ。

 言葉遊びのようにも聞こえるが、言われてみれば品行と品性のニュアンスは違う。二つの語を並べて小津が示した人間像を、城山三郎さんの小説のタイトルを借りて表すなら「粗にして野だが卑ではない」となるだろうか。

 新幹線開業時の国鉄総裁だった石田礼助の生涯を描いた一冊である。私欲に迷わず、権力に媚(こ)びず、在任中に勲一等を贈ると言われて「山猿だから勲章は合わない」と固辞した人物だ。

 城山さんは言い訳をしない人間を好んだと聞く。かつてお会いしたとき、流行語にもなった秀逸なタイトルに話が及んだ。「見るからに卑のにじむ人がいますが、そういう人に限って美学とか矜持(きょうじ)とかいう言葉を好んで口にしたがるようです」と苦笑していたのを思い出す。

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 城山さんも小津も天上から嘆いているに違いない。この国の権力の中枢はいま、荒(すさ)んだ「卑」の景色の中にある。

 国民は自分たちの程度に見合う政府しか持てないと、往々言われる。「この国民にしてこの政府」というきつい警句が議会制民主主義の本場英国には残る。

 その言葉に照らして、いまの永田町と霞が関に目を向ければ、私たちはこのレベルなのかとげんなりさせられる。中枢を担う政治家や官僚から、これほど横柄で不誠実な「言い逃れ」を聞かされ続けた歳月があっただろうかと思う。

 たとえば首相である。加計問題について、うそつきと言うなら証拠を示せと国会で力みながら、愛媛県の文書については「コメントする立場にない」とはぐらかす。森友問題の国有地売却価格への認識も、不都合な事実が表面化するや曖昧(あいまい)に翻した。類する場面は一再ではない。

 公文書の改ざんも発覚した。「記憶の限りでは会っていない」と言う側近官僚は疑念にまみれている。あるはずのものをないと言い、ないと言っていたものが出てくる。そうした中で首相は言葉だけで「信なくば立たず」を繰り返す。

 言(こと)を弾丸にたとえるなら、信用は火薬だと明治生まれの作家、徳冨蘆花が自伝小説に書いている。火薬がなければ弾丸は透(とお)らない。すなわち言葉は相手に届かない。かみしめるべき例えだろう。

 しっかりと、丁寧に、謙虚、真摯(しんし)、うみを出し切る――首相が並べたてる常套句(じょうとうく)はもはや、国民に届いていく力を失いつつある。そこへ露見したセクハラ疑惑が政官中枢の惨状に輪をかける。

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 非暴力抵抗を説いたインド独立の父ガンジーの暗殺から今年で70年になる。

 「立派な運動はいずれも、無関心、嘲笑、非難、抑圧、尊敬という五つの段階を経るものである」というガンジーの言葉は、理不尽とたたかい抜いた人の不屈の意志を示してやまない。

 それとともに、たたかう人々を勇気づける。最後の「尊敬」とは勝利の異名である。#MeToo(ミートゥー)を合言葉にセクハラ根絶を訴える運動が、早く尊敬を勝ち取るときが来るのを願うばかりだ。

 それにしても政権周辺の体たらくはどうだろう。当事者は見苦しく弁解し、財務大臣は薄ら笑いを浮かべ、ある議員は抗議する女性議員らを「セクハラとは縁遠い方々」とあざけった。首相側近の元文科大臣は告発を犯罪呼ばわりした。

 見えてくるのは、道理や人道というものへの暗さと、仲間内の論理で思考が尽きてしまう狭量ぶりだ。かばい合う。かくし合う。異論を言う者を見下す。思い上がった「権力の仲間内」という意識と構造が今の政治風景から透けている。

 ガンジーを精神的に支えた詩聖タゴールが言っている。「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱強く待っている」。深い洞察を思うとき、粗野にして卑なる景色はいっそう露(あら)わだ。