「子どもたちとの対話」から学ぶ・・・・・ 〔掲示板〕1232

【Q&A.ひとりあること(2)】
『 しかしそれらを何の批判もなく直接見ることが、それらに受動的に気づいていることができるとき、それらはあなたから抜け落ちていきます。そしてその受動的な気付きの状態の中に、完全な注意がありませんか―反対のもの、つまり排除的な集中としてではなく。

それはその中に矛盾がない気づきです。それゆえ孤独は消えます。私たちの大抵は孤独です。私たちの大抵は淋しいのです―深さはありません、私たちは非常に早く終わりに達します。そして引退、逃避、隠蔽をつくり出すのはこの孤独です。

そしてその孤独を私たちが理解したいなら、私たちはこれらの覆いを捨てて、それと共にいるに違いありません。ひとりあるというのはその存在です。そのときあなたは影響されません、そのときあなたは気分に捉えられません。

そしてひとりあることは絶対必要です―それを私たちの大抵は恐れます。私たちはそもそも私たち自身で抜け出すことをほとんどしません。私たちは常にラジオ、雑誌、新聞、本を持ちます。あるいは、それらを持っていないなら、私たち自身の思考で占められています。

心は決して静かでありません。ひとりあることはこの静かさです。そのひとりあることは誘発されません、作り出されません。多くの雑音があり、あなたが静かであるとき、あなたはひとりあるのではないでしょうか。あなたはひとりあるに違いありません。

あなたが成功するなら、明らかに間違った何かがあります。私たちの大抵は成功を求めます。そしてそれが私たちが決してひとりあるのではない理由です。私たちは孤独です。しかし決してひとりあるのではありません。』(K)


私の学習経過:

『 私たちの大抵は孤独。淋しい。引退、逃避、隠蔽をつくり出すのは孤独。

孤独を理解したいなら、覆いを捨て、共にいる。ひとりあるのは、影響されない、気分に捉えられない。

ひとりあることは絶対必要―私たち大抵は恐れる。私たちは自身で抜け出すことをほとんどしない。
常にラジオ、雑誌、新聞、本を持ち、持っていないなら、私たち自身の思考で占められる。

心は決して静かではない。ひとりあることはこの静かさ。多くの雑音があり、静かであるとき、あなたはひとりあるのではないか。

私たちの大抵は成功を求め・・決してひとりあるのではない理由。私たちは孤独・・決してひとりあるのではない。』

私たちは本来が孤独であり、何か頼るものがほしいのです。何か確かなもの、頼れるもの・・それは誰か安心できる・・経験・知識・成功なのか、動揺しない固定化された過去なのか・・・。