「子どもたちとの対話」から学ぶ・・・・・ 〔掲示板〕1233

【Q&A.ひとりあること(4)】
『 ひとりあることがあるときのみ、そのとき、あなたは真実のものに出会うことができます。それは比較を持ちません。そして、私たちの大抵はひとりあることを恐れているので、私たちは様々な避難所、様々な安全装置を築き、そしてそれらに大きく響く名前を付けます。

そしてそれらはすばらしい逃避を提供します。しかしそれらは皆幻想です。それらは何の意義も持っていません。それらが意義を持っていないということを私たちが見るときだけ―現実に、言葉の上でなく―そのときのみ私たちはひとりあるのです。

そのときのみ、私たちは本当に理解することができるのです。それは私たちがすべての過去の経験、記憶を、感覚を(その感覚を私たちはそんなにもせっせと築き、そんなにも注意深く守っているのです)、私たち自身から取り去る必要があるということです。

確かに、無条件の心だけが無条件のもの、実在を理解できるのです。そして心を無条件にするには、人は孤独に直面するだけでなく、越えなければなりません。人はどっと浮かんでくる記憶にしがみついてはいけません。

というのは記憶は単なる言葉、感覚を持つ言葉に過ぎないからです。いまあるものを理解できるのは、心がまったく静かで、影響されていないときのみです。』(K)


私の学習経過:

『 すべての過去の経験、記憶、感覚を取り去って、孤独を越え、ひとりあるときのみ、真実に出会い、本当に理解できる。比較・安全・避難は幻想、何の意義もない。

単なる言葉、感覚に過ぎない・・記憶にしがみついてはいけない。いまあるものを理解できるのは、心がまったく静かで、影響されていないときのみ。

意義を持たないことを見るときのみ私たちはひとりある。そのときのみ、本当に理解できる。』

いまの社会・世界の現実を見て、人間の歴史を振り返る。・・道具・機械・文明・知識・経験の発展は何をもたらしたのか・・・。生活は便利に、スピード化も進んだが、人間の心は何をもたらしたのか・・競争・対立・争い・暴力・破壊・悲惨・戦争・・・。人類の歴史は・・・地球の歴史は・・・どうなっているのか・・・。いったい進歩・発展とは何なのか・・・。

社会は、そして世界では、子育て・教育によって・・過去の知識・経験を教え、強制され、子どもたちは成長という言葉に従って社会の一部に溶け込み、過去を見て模倣する「死んだ人間」になっていくのだろうか。

知識・経験は記憶であり過去でもある。人間の成長とは「過去」をふりかえって、その過去にますます縛られることなのか・・・。長い人間の歴史は、そんな風に進んで、心が過去で占められて、窒息しそうになりながら、前に進んでいるつもりになっているのだろうか・・・。