「子どもたちとの対話」から学ぶ・・・・・ 〔掲示板〕1234

【Q&A.観念・信念はとは(1)】
『 Q: 観念は確かに分離します。しかし観念はまた人々を結び付けます。これは社会生活を可能にする愛の表現ではないでしょうか。

A: あなたがそのような質問を尋ねるとき、観念、信念、意見は人々を分離するということを、イデオロギーは分裂させるということ、観念は不可避的に引き裂くということを、あなたは理解しているのかどうかなと思います。

観念は人々を団結させません―あなたは違う反対のイデオロギーに属している人たちを結び付けようとするかもしれませんが。観念は決して人々を結び付けません。それは明白です。

なぜなら、観念はいつでも対立し、争いを通して破壊されることがあるからです。結局、観念はイメージ、感情、言葉です。言葉、感情、思考が人々を結びつけることができるでしょうか。それとも人々を結び付けるにはまったく違うことを要するのでしょうか。

憎しみ、恐怖、そして国家主義が人々を結びつけるのが見えます。恐怖は人々を結びつけます。共通の憎悪は時におたがいに対立した人々を、対立している団体に属する人たちを国家主義が結びつけるように結び付けます。確かにこれらは観念です。

そして愛は観念でしょうか。愛を考えることができますか。愛する人、あるいは愛する人たちのグループについて考えることができます。しかしそれは愛でしょうか。愛についての思考があるとき、それは愛でしょうか。思考は愛でしょうか。

そして、確かに、愛のみが人々を結び付けることができます。思考ではなく―別のグループに対立する一つのグループでなく。愛があるところ、グループ、階級、国籍はありません。それゆえ、愛とは何を意味するかを見出さなければなりません。』(K)


私の学習経過:

『 観念、信念、意見は人々を分離する、イデオロギーは分裂させる、観念は不可避的に引き裂くことを、あなたは理解しているか。

観念は決して人々を結び付けない。いつでも対立、争いを通して破壊。・・憎しみ、恐怖、国家主義が人々を結びつける。

愛のみが人々を結び付ける。愛があるところ、グループ、階級、国籍はない。愛とは何を意味するか。』

社会は、そして世界では、教えられ、育てられ積み重ねられた『観念、信念、意見、イデオロギー』が人々を分離し、対立して争っている現実が、日々の生活の中に見えている。

私たちは、その事実を見ているのか・・見えているのだろうか。