「子どもたちとの対話」から学ぶ・・・・・ 〔掲示板〕1238

【Q&A.なぜ私たちは記憶の中に生きるのか(2)】
『 記憶とは言葉を意味するのではないでしょうか。イメージ、表象、それは単に一連の感覚に過ぎません。そしてこれらの感覚を糧として私たちは生きています。したがって私たちは感覚から自分自身を分離し、「私はそれらの感覚が欲しい」と言います。

それは「私」は、記憶からそれ自身を分離して、それ自身に永続性を与えるということです。しかしそれは永久的ではありません。それは偽りの永続性です。

さて、「私」自身を記憶から分離し、現在に対する反応の中でその記憶に命を与えるこの「私」の全過程、この全体の過程は明らかに私たちが現在に出会うのを妨げるのではないでしょうか。もしも私が何かを理論的に、言葉の上で、抽象的にではなく現実に理解しようとするなら、私は全部の注意をそれに注がなければなりません。

私が記憶によって、信念によって、意見によって、昨日の経験によって気を散らされているなら、私はそれにすべての注意を注ぐことができません。したがって、私は挑戦に対して、十分に、適切に応答しなければなりません。

だがその私は、それ自身を記憶から分離して、それ自身に永続性を与えているのですが、その私は、現在に関して、出来事、経験を見て、過去の条件付けに従って、記憶から引き出します―それを検討するなら、すべて非常に簡単で明白です。

それは昨日の記憶です―所有の、嫉妬の、怒りの、矛盾の、野心の、あるべきことあるいはあるべきでない事の―「私」を作り上げるのはこういったすべてのことです。そして「私」は記憶と異なりません。性質は物から、自己から分離することはできません。』(K)


私の学習経過:

『 記憶とは言葉を意味する。

「私」は、記憶からそれ自身を分離し、永続性を与える・・偽りの永続性。

現在に対する反応の中で記憶に命を与える「私」の全過程・・現在に出会うのを妨げる。
現実に理解しようとするなら、全部の注意を注がなければならない。

記憶、信念、意見、昨日の経験によって気を散らされるなら、すべての注意を注ぐことができない。

私は自身を記憶から分離して、永続性を与えている・・現在に関して、出来事、経験を見て、過去の条件付けに従って、記憶から引き出す。

昨日の記憶―所有、嫉妬、怒り、矛盾、野心、あるべきことあるいはあるべきでない事の―「私」を作り上げるのはこれらすべてのこと。「私」は記憶と異なりません。』

私たちは生まれると、周囲の様子・風景・・現在を見て反応しますが、親から道具の使い方・知識・・つまり言葉や過去を教えられ、教育でも知識・経験を積み重ねて・・次第に「自分の目で事実・現実を見る」ことから離れて、過去の目でこれからの未来を考えるようになってしまうのです。