ブログ・記録 [1]


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はじめまして 2012/12/30(日) 午後 2:14 日記冬

ブログをはじめました!

「ひとりごと」・・過去でも未来でもない現在、目的も意図もなく、日々の生活と社会の動きとともに、思い浮かぶ思いや疑問をそのまま書いてみたい。


指導者の暴力 2013/1/31(木) 午後 4:35 

教師の体罰による高校生の自殺から、スポーツ選手に対する指導者の体罰の問題も表に出てきた。
親の子どもに対する暴力や虐待も含めて、その根元には子育てや指導に見られる上下・服従関係という歪んだ人間関係が見えてくる。

親も指導者も、自分は知っているという傲慢とともに、目下の他者に対する支配によって、自分の欲望を満足させるという無神経な信念が隠されていることに、自分自身気がついていないのだろう。

体罰は本当の意味での指導力と理解力の欠如を証明しているようなものである。本来スポーツはルールによって暴力を排除した中で、他者との試行を通して自己の力を知り、身体的・精神的な能力・体力をより高めるためのものなのではないか。


いじめや暴力の根元に 2013/2/28(木) 午後 1:26 

いじめや暴力が教育やスポーツでも問題になっている。卒業式や開会式などの儀式は、国家や集団・体制の指導者や管理者が、その権力を示して集団を服従させる手段としての意味を持つ。
卒業式は子供のためというより子供を利用して保護者や行政・教育委員会に長いあいさつの機会を設ける場になって、国歌を立って歌わない教師は処分の対象になる。

スポーツや運動会の開閉会式も軍隊の行進をモデルにした儀式になっているから、生徒は体育館で腹がすいた昼前でも何度も退屈な歌の練習をさせられて、声が小さいと言われて何度も歌わせられる。

これこそが「いじめ」であり、暴力であることが、親にも政治家・専門家にも、国民とひとくくりにされている人々にも理解できないようだ。

子供のための指導とか愛とかの名のもとに、家庭でも社会でも暴力と鈍感が堂々とのし歩いている。


政治・メディアの影に 2013/3/31(日) 午前 11:50 

選挙で「景気対策」を望んだ国民は、政権の宣伝に一役かっているメディアの演出的な操作にのせられて、先行きの見えない「金融緩和」と「円安・株高」に浮かれている。その影には、母子家庭・貧困者・若者たちの生活がどこかに押しやられようとしている姿が浮かんでくる。

外に目を向ければ、政治も経済もグローバル化して、日本だけが経済成長するという発想が独善的で、その負の部分はいつか負わなければならない財政の遺産として、子どもたちにも隣国にも重くのしかかってくるだろう。


知識・経験・常識を疑う 2013/4/29(月) 午後 2:53 

社会でも子育てや教育でも、知識や経験を積み重ねるほどこの競争社会の地位・権威・権力を勝ち得て、差別と格差を広げる原動力となっている。

そのような事実を疑うこともなく、いじめや暴力が問題になる中で、政治が道徳教育を強化する方向に進むことに対して、もっと子どもの意見をきいてほしいという朝日新聞の「声」があったが、最近「自分は経験という牢屋に閉じ込められていた」という話をした大学の学長の記事が載っていた。

政治も教育も、知識・経験・情報を重視する常識のウソに気づいて、物事をいつも新鮮な子どもの目で見ていかないと、年寄りの頑固な固定観念で固まった社会は、真に変わることはないだろう。


政治もマスコミも教育も、個人の問題にいきつく 2013/5/29(水) 午前 10:10 

日本の円安・株高騒ぎは、マスコミがことさらにあおっている。輸入物価の値上がりで、食品・電力・エネルギー関係の会社や一般市民の生活は苦しくなって、格差は広がるばかり。

足元が見えなくなってはるか上しか見ていない総理大臣、オリンピック招致で他国のアラ捜しによる差別発言の東京都知事、そして歴史的事実をねじまげて配慮のない発言繰りかえす大阪市長。この人たちに共通するのは、「正しく真意が伝わっていない」でごまかそうとする自分自身が見えていないことだ。・・どうしてこんな人たちを国民・市民は選ぶのだろうか・・・

そんな政治・経済・社会の背後にある集団・組織をつくっているのは、「国民」とひとくくりにされて、政治家に都合よく利用されている「個人」の・・政治・マスコミ・スポーツに向ける「信仰心」が、子どもたちの教育にまで・・暴力と腐敗と破壊を広げている事実に、その「国民」は気がついていない。


国家・国民という虚構に縛られる  2013/6/29(土) 午後 5:54 

個人・市民の活動は国と国の境界をなくしてゆこうとしているが、その市民・国民が支えている政治は国家という境界を強化する方向に進んでいる。
国家間の対立・政治の争いは、政治の権力とマスコミに操作されている国民・市民という集団をつくっている・・結局は個人の欲望・対立・争いを意味している。


選挙に行かないことの意味  2013/7/21(日) 午後 4:58 

選挙を前に、マスコミ・評論家は投票率の低下を気にしながら、投票しないことを否定的にしか見ていないようだが、果たして若い人が投票に行かないことに意味はないのだろうか。

選挙に始まる政治の争いは、私たち個人の欲望・分裂・対立・争いを意味する。私たちと他者との関係が、お互いの欲望に基づいているなかで、数の争いが繰り広げられる。

投票に行かないことは、ひとつの積極的な行動であり、意味のある意思表示ではないか。「棄権は悪」という一方向からの視点を変えて、もう少し広いものの見方から学ぶことがあるのではないだろうか。


ドイツと日本の向かう方向  2013/8/25(日) 午後 5:51 

ドイツは、日本の原発事故後すぐに「原発ゼロ」を目指す方針を決めた。対照的に日本では自民党が脱「脱原発」を決めて、ドイツから疑問を投げかけられている。
東京電力福島第一原発の事故から2年経過して、汚染水の処理にてこずり、どうしたらいいのかの方向が見えない中で、国民の血税が投じられようとしているが、国民の借金は膨らむばかりで、先行きが見えない子どもたちの将来はどうなるのだろうか。


消費税とオリンピック  2013/9/14(土) 午後 11:51

消費増税はいいとして、それが何に使われるのかが見えない。

増税の2%分にあたる5兆円を超える経済対策が出て、低所得者層や住宅取得者に現金給付とかの案が出ている。

オリンピック関連の競技場や選手村などを結ぶ一般道路等の公共事業の予算要求が大幅に増大して、地方も含めた借金は増えるばかりだ。

消費税の負担が重い下の層から搾り取られた消費税は・・結局は上の層をうるおして、下にまでは下りてこないことになる・・・それが政治というものなのだろう。


すでに家庭の子育てと学校の教育から始まっている  2013/9/28(土) 午後 5:21 

アフリカでの、シリアでの内戦の背景には、宗教的対立というより「大都市の既得権層」対「農村部の貧しい層」の格差の問題に行きつくようだ。
それは、そのまま中国にも言えることで、基本的には日本だって同じ社会構造の延長上にあるだろう。

競争社会とは権力側につく人たちと、そこから排除される側の人たちとの格差を意味し、結果として特権的富裕層と農民や貧困層との社会の2極分解が進む。

それは、すでに家庭の子育てと学校の教育から始まっているのかもしれない。


子どもの声・姿・「いじめ」から学ぶ 2013/10/27(日) 午前 0:51

NHKが10月25日、「いじめ」についての子どもたちの声を聴いて、出演者が話し合っていた。

〔 *首都圏スペシャル「聞こえますか、子どもたちの“心の声”が」
1万人近くの子どもたちの「本音」の声をもとに、なぜ“いじめ”を始めたのか、逆にどのように“いじめ”を受けたのかを明らかにし、“いじめ”を防ぐ対策を考える。
【出演】教育評論家、法政大学教授…尾木直樹,【出演】NPOジェントルハートプロジェクト理事…小森美登里,【出演】小学教師・菊池道場主宰…菊池省三,【出演】長野県教育委員会…永原経明,【司会】斉藤孝信一柳亜矢子大沢あかね

詳細 「いじめ防止対策推進法」では“いじめ”を早期に発見し早期に対処することがうたわれた。被害が深刻化する前に防ぐことが目的だ。全国の学校で講演を続けてきたNPOが独自調査した1万人近くの子どもたちからは、いつの間にか“いじめ”の対象になった経緯や追い詰められる心の変化などの“いじめ”体験とともに、容易に“いじめ”る側に転びかねない心の内が明らかになっている。ゲストとともに“いじめ”を防ぐ方策を考える。 〕

この番組もそうだが・・親も教師も評論家も、多くの子どもたちの声を聴いたといいながら、「“いじめ”を防ぐ方策を考える。」という視点でしか問題を見ていないのだろうか。

子どもたちの「いじめ」の影に、親や教師や社会の姿が見えないのだろうか。競争社会を反映しているのが競争教育であり、子どもたちの言葉や姿やいじめの背景には、大人の欲望と支配欲が映し出されているのではないだろうか。


政治・経済と格差社会 2013/11/23(土) 午後 4:58

景気回復を望んだ国民が選んで、いまも支持率が高いという・・安倍政権とは・・・何なのか。

企業の業績が上向いても、商品が売れるようになっても・・平均以下の人々や家族の生活は楽になっているのか・・・どうもそうではないようだ。消費税は、金持ち層には「なんのこともない」ようで、いまでさえやっと生きているような多くの人たちにとって、それは重くのしかかってくる重税でしかない。一時金のようなごまかしで済ませようとしても、貧富の「格差」は広がるばかりだろう。

政治は結局・・私たち一人一人の意識の集合であるので、私たち個人の認識が少しずつでも変わらなければ、政治も経済も社会も変わらないだろう。


政治の奴隷 2013/12/24(火) 午前 0:25

猪瀬都知事の疑惑にあれだけの時間と紙面を使った報道と、東京オリンピックに騒いだあの騒ぎがダブって浮かび上がる。そんな人物を記録的多数で選んだ東京都民と、メディアに踊らされている選挙や支持率とはいったい何なのか。

《 人々が自由なのは選挙のときだけで、投票したあとは政治の奴隷になってしまう――。
18世紀の思想家ルソーは英国の議会政治をそう批判した。》 朝日新聞から


夢と絆の社会 2014/1/12(日) 午後 4:56

一昨年の年賀状に、
「絆だ、ナデシコだと、マスコミの宣伝にのせられて、私たちはますます内側を向いてしまうのだろうか。」・・と書いた。
スポーツ選手が、子どもたちを盛んにあおって「あきらめなければ夢はかなう」などと言っているが、成功者は氷山の一角で、水面下には限りない犠牲者がいるのだ。

競争社会が何を意味するか・・勝者と敗者、地位、格差社会・・・。絆の影に、多くの孤独・孤立の姿が見えてくる。
私たちは日のあたる明るい方向だけでなく、その影になるマイナス面にも目を向けることによって、より広く深く生活や社会を見ることができるのではないだろうか。


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(過去 2014 未来)人が人と生きること 山田太一さん   朝日 2014年1月9日

 人は人とつながりながら生きてきた。これからもそうやって生きていく。たぶん、それは変わらない。でも、つながりの有り様はどうなんだろう。時代と共にどう変わったのか。

 ■「絆」より悲しみが人を潤す 小説家、脚本家・山田太一さん

 1977年に放映されたテレビドラマ「岸辺のアルバム」は、核家族化が進み、都心に一戸建てがどんどんと建ち始めた時代の物語でした。外からはきれいに見える平凡な4人家族ですが、内情をみると、バラバラになってしまっている。身も心も会社に捧げる父。孤独を不倫で癒やす母。レイプされて妊娠し、堕胎した姉。国広富之さんが演じる高校生の長男が、それでも問題がなかったように振る舞う欺瞞(ぎまん)だらけの家族に耐えきれず、声高に非難します。

 今はそんな高校生はいないよ、という時代になりました。子どもも情報が多く訳知りにもなり、日常を保証してくれる親に、その生き方を問うような反発はしなくなっているのでしょう。親も子どもの扱いが上手になり、なるべく衝突を避けがちです。お互い本当はどう思っているかが、分かりにくくなって、上っ面で生きている気がします。

 社会全体も70年近く戦争をしないでやってきて、それは何度強調しても足りないくらいすばらしいことですが、戦争の実際を知らない人が大半になり、いざ戦争になったらどういうことになるのかの想像が甘くなってはいないでしょうか。敵はこちら側の人間なら誰彼かまわず、憎しみをみなぎらせて一人残らず殺して当然と向かってくるのですから、その戦いの中での敵と味方と自分を含めた人間の弱さ、醜さ、怖さは平和時の想像を軽く超えてしまいます。

 無論、そういう時代だからこその美しい話も生まれるのでしょうが、それはもうほんの一握りといっていいでしょう。

 そのように時代の局面が変われば、どっと噴き出してくるマイナスを「まさか」と思っているうちに、もうそのただ中にいるということがないとはいえない、という不安があります。東日本大震災の翌日だったでしょうか。近所のスーパーに行ったら、がらがらの棚があちこちにあって、はじめは意味がわかりませんでした。

 「ああ、あの津波の光景をテレビで見て、すぐ食料品や日用品の確保に走った人がこんなにもいたのか」と、自分の甘さ、呑気(のんき)さを思い知りました。すぐに、食料の心配がないことがわかり、被災した人たちの役に立ちたいという感情が広がり、「絆」という言葉がキーワードになっていきましたが、「絆」というのは「少し大げさではないか」と感じました。

 「絆」を辞書であたると、「人と人との断ち難い結びつき」とあり、「例えば、夫婦の」というような用例があり、それを被災した人と、そうではない人との間の言葉に使うとかえって空疎な言葉として被災者に届くではないか、と気がかりでした。本当の苦しみと悲しみは当事者が生きる他はないのですから。とはいえ、被災者が「絆」に文句をつけるわけにもいかないでしょうから、結構流通してしまいました。

 このごろ、とりあえず、ぴったりとした言葉がないので使っているのだろうと思う言葉が、結構本心なのだと知って、底の浅さを感じます。スポーツ選手が多くの人に勇気を与えたいとか、観客が勇気をもらいましたとか。

 今の社会は「本当」のマイナスとは向き合わず、プラスの明るさだけを求めている気がします。テクノロジーの進歩がマイナスの排除に拍車をかけている。社会を効率化し、洗練させることを永続的に追求しようとする動きです。

 世間でマイナスと判断されるものには、実は人間を潤している部分がいっぱいあると思います。人生でも悲しかったり、つらかったりする思い出の方をずっと細かく覚えているものです。リストラに直面しているサラリーマンたちは宿命や限界に鍛えられている側面もある。災害や病気を経験している人とそうでない人とでは、人間の差が生じていると思います。

 急行電車に乗っていると、止まらない駅のホームにぽつんと男がいて、「あれは自分だと思った」という内容の詩がありましたが、ぼくは、各駅停車の駅にいる人が、豊かでかっこよく見える。そうやって、時間の遅さをあえて拾っていくべきではないかと。マイナスと一緒に生きることを自然に受け入れている人の新しい魅力を書いてみたいと思っています。

 (聞き手・古屋聡一)


影に見えるのは 2014/2/14(金) 午前 0:39

オリンピックの実況と報道で、自国の選手の活躍に沸いているその影で、社会は相変わらずつまらない争いと経済格差を広げている。政治や教育、経済、メディアを支えているのは私たち一人一人の個人の責任なのだが、私たちはそのことが見えなくなってしまっていることに、いつになったら気がつくのだろうか。


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朝日新聞 2013年11月10日 から
(政治断簡)家族の現実、見据える保守政治を 

 日本の「生きづらさ」の根っこに、何があるのか。

 私は、家族のあり方の変化に、社会の仕組みが追いつかないことが、いちばんの原因だと思う。

 貧困を例にとろう。

 日本はいまや、主要国では米国に次いで相対的貧困率が高い「貧困大国」だ。貧しさが際だつのはシングルマザーや夫に先立たれた高齢の女性、親元を離れた非正社員。つまり、夫や父親の稼ぎに頼れなくなった人たちだ。

 夫が主に稼ぎ、妻は専業主婦かパートというのが、かつての家族の典型だった。妻の稼ぎは「家計の足し」だから、賃金の低さは問題にはならなかった。

 いま、離婚は珍しくもない。主婦がやっていたような非正規の仕事に若者がなだれこんでいる。

 そんな変化を受け入れ、男性と女性、正社員と非正社員の仕事と賃金をならし、格差を縮めれば貧困は減る。夫の残業も短くなる。

 なのに、できない。男女、正社員とパートの賃金の格差は、欧州の国々に比べて格段に大きい。

 その結果、「家計の足し」程度の収入で暮らす人が増えたのが、日本の貧困の真相だ。「大黒柱になるはず」の若い男性がその立場に置かれてようやく、問題だという認識が広がった。

     *

 自民党政権は、昔の家族像に誘導する政策をとってきた。収入の少ない主婦を優遇する税や年金の仕組みである。

 最近の自民党法務部会では、遺産相続の際に「婚外子」の取り分が少ない現行民法の改正について「差がなくなれば不倫の抑止力がなくなる」「家族制度が崩壊する」と異論が続出した。

 婚外子差別を違憲とした最高裁の判断をものともせず、人の権利より家族制度を優先する姿は「家族原理主義者」というほかない。

 税や相続差別で誘導しても、家族のかたちは変わったし、今後も変わる。安倍晋三首相が家族を大切にする保守政治家であるなら、家族の現実を直視し、社会の仕組みを立て直すことだ。現実無視の「観念保守」には何も守れない。

     *

 私が注目しているのは政労使会議だ。安倍政権が、消費増税や物価上昇にあわせて賃金も上げたいと設けた。

 政労使会議で有名な例がオランダにある。興味深いのは、1982年にそこでワークシェアに合意した前後の政治の動きだ。

 男女、正規と非正規の賃金などの待遇格差を禁止。労働者が労働時間を選べる仕組みも整えた。これなら子育てや介護、学業など事情にあわせて無理のないかたちで働け、人の力を生かせる。出生率も回復した。

 これを遂行したのは、左派、右派、中道政党が加わる複数の政権だ。どんな政権であれ、現実を直視するなら、打つ手はさほど違わないはずだ。


夢とは・・・  2014/3/23(日) 午後 2:26

朝日(声)若い世代  夢を抱くのは幸せなことだ   2014年3月22日

 小学生 土村萌夏(広島県 12)
 日本の子どもたちは「大人になったらこういうことをしたい」「こういう職業につきたい」などと夢を語ります。「夢を抱くことは当たり前」と考えています。でも学校で世界の子どもたちのことを学習するうち、「夢を抱けることは幸せなことだ」と分かったのです。

 日本の子どもは、学校に通い毎日3回の食事をとっています。しかし世界には紛争で学ぶことができなかったり、飢餓で食べ物が手に入らなかったりする子どもたちがかなりいることを知りました。5歳までに命を落とす子どもが年間数百万人いるそうです。そういう子どもが願うのが、「無事に成長して大人になること」だと知って驚きました。

 そのような世界の現状を少しでもよくするために、私は自分にできることを探し、実行しようと思います。世界の全ての子どもたちが5歳の誕生日を無事にむかえられるようになってもらいたいです。


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家庭でも学校でも、そして社会でも「夢を持ち、その実現に努力する」ことに疑問を持つ人はほとんどいないようです。多くの人が考える「夢」は目的・競争・成功を意味し、地位や財産に結び付く・・いまの競争社会に参加することになります。
テレビでも新聞でもその競争にスポットを当て、日の当たる成功者や勝者の宣伝に余念がない。其れが今の社会と世界の現実なのですが、子どもたちも若い人たちも結局はそんな社会に適応して、いつしか自分もその宣伝に加担してしまうしかないのです。
そんな中、この小学生は・・社会の影の方向に目を向けている。

〔 日本の子どもは、学校に通い毎日3回の食事をとって・・しかし世界には紛争で学ぶことができなかったり、飢餓で食べ物が手に入らなかったりする子どもたちがかなりいる・・・
5歳までに命を落とす子どもが年間数百万人いる・・そういう子どもが願うのが、「無事に成長して大人になること」だと知って驚きました。
 そのような世界の現状を少しでもよくするために、私は自分にできることを探し、実行しようと思います。世界の全ての子どもたちが5歳の誕生日を無事にむかえられるようになってもらいたいです。〕

親が、学校の先生が、指導者が、政治家が、マスコミが言っていること、行なっていることは・・何なんだろう・・・。
思い切って言うなら・・教育も社会も・大人たちは子どもたちに「欲望」と「暴力」を育てているのではないだろうか。


政治が教育を支配し、子どもたちは洗脳される 2014/4/21(月) 午後 1:36

日中韓の政治的対立が続いて、小さな島の争いは教育にまでおよんでいる。子どもたちもマスコミや親兄弟から聞いて、何が起きているのか知っていることもあるだろう。こういう問題は、学校で固定観念を教えるのでなく、教室で子どもたちに自由に話し合いをさせるいい教材になる。子どもたちの率直な意見や考えから学ぶことは多い。
中国や韓国に対抗して、何も学校で子どもたちに敵対心を育てるのでは、同じレベルで互いに争う対立はますますエスカレートする方向にしか向かわないだろう。


(時時刻刻)領土教育、配慮と模索 小学教科書に尖閣竹島   朝日 2014年4月5日

教科書に掲載される尖閣竹島についてのコラム/竹島についての地図帳上の記述
 2013年度の検定に合格した小学校の社会科教科書で、申請した5社全てが尖閣諸島竹島についての記述を入れた。シェアを落としたくない各社が、領有権問題への関心が高まる世間の「空気」を読んだ結果ともいえそうだ。教育現場からは「教え方がわからない」との声も聞かれる。中国と韓国は反発している。

 ■教科書会社 横並び「不採択恐れた」

 教育出版は、5年の「国土」を学ぶ章で、見開き2ページにわたって北方領土尖閣竹島についてまとめた。「竹島は、日本の領土でありながら、1954年から韓国が不法な占拠を続けています」「尖閣諸島も日本の領土でありながら、中国が自国の領土であると主張」とする記述や、尖閣竹島の地図と写真を合わせて掲載した。さらに、6年でも詳しく言及。光村図書も、5、6年の両方で「韓国が不法に占拠」などと記載した。

 地図帳のみを申請した帝国書院は、日本地図に尖閣竹島の空撮写真を配置。写真説明に「日本固有の領土」と初めて書いた。前回検定時は日本地図に表記があったが、写真や説明はなかった。

 教科書編集の指針となる現行の学習指導要領の解説は、小学校社会科で北方領土に触れるよう明記している。一方、竹島尖閣について解説に記載はない。

 教科書会社は記述を入れた理由について、前回の検定後、10年に尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突や12年の韓国大統領の竹島上陸などが大きく報道されたことを挙げ、「社会的に広く認知され、児童の領土への関心も高まった」と口をそろえる。教員が児童の質問に答えられるよう情報として盛り込んだ、という説明だ。

 ある教科書会社の担当者は「記述が1社だけにないと、教育委員会が選ぶ際に落とされかねない。各社が書いてくる予感があり、そういった不利はできるだけ避けたいという思いもあった」と明かす。

 文部科学省は中学・高校向けの指導要領解説を1月に改め、「竹島尖閣」の指導を明記した。適用外の小学校向け教科書でも記述が大幅に増えた点を、下村博文文科相は「出版社が適切に判断された」と喜んだ。今後、小学校を含めて、指導要領自体も同様に改める考えだ。

 ■教員 「複雑」、扱い方苦悩

 まだ歴史の知識が少ない小学生に、尖閣竹島をどう教えるか。全社の教科書に記述が載ることを受け、教育現場では授業での扱い方を模索している。

 三重県の公立小教諭(47)は「異なる見方もあることを考えさせるにはいい教材になり得る」と歓迎し、時事問題全般について議論が活発になることも期待している。ただ、「6年生になってようやく歴史の基本を学ぶ小学生には、題材自体が難しい」とも指摘する。若手には教科書通りに触れるだけの教員もいるといい、今回盛り込まれた「日本固有の領土です」などの表現だけでは「なぜ問題になっているか理解できず、見方が広がらないのでは」と話す。

 神奈川県内の公立小では数年前、児童に関心のある新聞記事についてスピーチさせたところ、尖閣を取りあげた子がいた。すると中国人の親を持つ別の児童が「中国は自分の領土だと言っている」と発言したという。担任だった20代教諭は「そうだよね」としか言えず、別の話題に移ってしまった。「さらに意見を求めて深められたかもしれないが、どう対応していいか分からなかった」と話す。

 大阪府東大阪市立英田北小学校の北村仁教諭(40)も「複雑な問題で、ちょっとやりにくい」と悩む。教えるのであれば、歴史的背景や国際法を踏まえ、問題の根っこを考えさせたい。だが、小学生ではそこまで教えられない。「中国や韓国ともめるのはなぜか、実態に即した授業にしたいがどこまで可能なのか」(高浜行人、斉藤純江)

 ■韓国・中国では 「独島(竹島)は我が領土」/「釣魚島(尖閣)を愛国教材に」

 韓国や中国は反発している。

 「竹島という島は存在しないし、独島だけある」

 韓国外交省の趙太庸(チョテヨン)・第1次官は4日午後、別所浩郎・駐韓国大使を呼び、強い調子でこう抗議した。中国外務省の洪磊副報道局長も同日の会見で「日本にこの問題で挑発をやめるよう求める」と反発した。

 そもそも韓国や中国の教育現場では、領土や歴史問題はどう教えられているのか。

 韓国の小学6年生が使う社会科の国定教科書は、「私たちの領土、独島(竹島の韓国名)」とのタイトルで写真付きで1ページを割き、領土問題を記述している。独島警備隊(警察)が守り住民も暮らすことなどを説明。その上で、日本の主張に対し、「独島を日本の領土だと言い張っているが、独島は地理的、歴史的、国際法的に厳然たる私たちの領土だ」と反論する。

 一方、中国では、教科書を使った領土教育はほとんど行われていなかったとみられる。小学校では教育課程に「歴史」や「地理」がなく、歴史・地理教育が始まる中学や高校の代表的教科書にも尖閣諸島は「台湾の一部」と言及する程度で、歴史的経緯は詳述されなかった。

 だが、2010年9月、尖閣沖で中国漁船と日本の巡視船による衝突が起きて以降、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は愛国教育の良き題材になる」(楊立文・北京大教授)との声が上がった。12年9月に日本が国有化を決めたことを機に、中国国内で領土・歴史教育の見直し論議が高まっている。中国政府は出版社などに対して「釣魚島は中国固有の領土」という政府見解に沿った表現を使うよう指示。教科書でも今後、内容書き換えなどが加速する可能性がある。

 (ソウル=東岡徹、北京=倉重奈苗)


 ■韓国の抗議に反論

 菅義偉官房長官は4日午後の記者会見で、韓国外交省が別所浩郎・駐韓国大使を呼んで抗議したことについて「竹島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土であり、現在は韓国に不法占拠されている。ごく当たり前のことを書いただけに過ぎない」と述べ、韓国の抗議は当たらないとの見解を示した。

 ■新社会科教科書の領土についての記述の有無

教科書会社  学年 竹島 尖閣諸島 北方領土

光村図書   5年 ○  ○    ○

光村図書   6年 ○  ○    ○

日本文教出版 5年 ※  ※    ○

日本文教出版 6年 ○  ○    ○

教育出版   5年 ○  ○    ○

教育出版   6年 ○  ○    ○

東京書籍   5年 ○  ○    ○

東京書籍   6年         ○

 (地図帳は除く。※は検定時はなかったが、記述を追加する訂正を申請中。3・4年は記述なし)


一人ひとりの意識・・まずは自分が・・・  2014/5/13(火) 午前 10:33 

(社説余滴)韓国の悲劇、隣人として 箱田哲也  朝日 2014年5月6日

 「全国民の涙雨ですよ」

 春の冷たい雨が打ちつける韓国で、空港から乗ったタクシーの運転手さんが、ぽつりとつぶやいた。

 修学旅行に向かう高校生らの多くが犠牲になった旅客船沈没事故。政府や船会社のずさんな対応を伝えるラジオを聞きながら、彼が発した言葉はさらに重かった。

 「大統領にも船長にも責任はある。でも一番悪いのは私だ。何の罪もない若い命を一瞬で奪う、こんな社会を作った私たち大人が一番悪い」

 同じ民族同士が銃を向けあった戦争の廃虚から血の出る努力を重ね、今や世界のあちこちに「SAMSUNG」や「HYUNDAI」の看板を掲げるまでになった。

 貧富の格差は激しいが、それでも財閥系企業の躍進は韓国の人々の誇りである。

 しかし、今回の惨事が浮き彫りにしたのは、そんなまぶしい成長や発展の真裏にあるもう一つの現実だった。

 過積載やマニュアルの不徹底、官僚と業界の癒着……。原因につながる疑惑が次々に浮上し、社会は責任の所在を血眼で探す。と同時に国全体が自責の念に駆られている。

 被害に遭った高校生らが住むのは町工場が立ち並ぶ庶民の街だ。生徒たちが生まれたのは「国がつぶれる」と危ぶまれた通貨危機の時だった。困難のなかで産み育てた息子や娘を、なぜ大人は守ってやれなかったのか、と。

 私はソウルに計10年住んだが、こんな活気のない韓国を初めて見た。惨事を招いた原因は異なるが、人々の心に与えたダメージという点で、今回の事故は東日本大震災に似ているかもしれない。

 大震災直後、ソウル支局長だった私のところに相次いだ韓国の厚情を思い出す。義援金の申し入れに加え、「トン単位のミネラルウオーターを用意するので東北に届けてほしい」と言われた時には、その行動力に驚かされた。

 沈没事故を受け、韓国はいま、再発防止のための動きも急いでいる。メディアは久しぶりに「日本に学べ」とばかりに、日韓の安全システムの比較を詳報し始めた。

 沈没事故後、日本の支援要請を韓国が拒んだと一部で言われるが、日本政府当局者は「日本にも他国にも謝意は伝えられたが、返事はないまま。それほど余裕がないのだろう」と理解を示す。

 怒り、悔い、疲れ果てた韓国に、隣人として何ができるだろうかと自問している。

 (はこだてつや 国際社説担当)


朝日(声)若い世代 ツバルからごみ問題を学ぶ   2014年4月28日

 高校生 伊藤琳香(熊本県 16)

 海面上昇で住民が国外退避を余儀なくされている国がある。ツバルだ。県下一斉テストでも出題された深刻な問題である。私は深く知りたいと思い、調べてみることにした。

 海面上昇の原因には、地球温暖化の影響だけでなく、現地のごみ増加で処理しきれないごみが、島の基盤であるサンゴ礁に影響を与えるなどの深刻な環境汚染もあるという。

 私は、ひとごとでは済まされないと思った。ごみ問題は、日本の問題でもあり、私の地域の問題でもあるからだ。私たち一人ひとりがなにげなく出すごみが積もり積もって、地域や国になると、膨大なごみになる。

 世界で起きていることをひとごととしてとらえてはならない。ごみ問題が深刻化したのは、便利な世の中が「捨てる文化」をつくり上げたからだ。しかし考え方次第では、一人ひとりの意識でよくも変えられる。まずは自分が出すごみの量を減らしていこうと思う。


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社会は、政治家・専門家・金持ち・・宗教・マスコミによって支配され、人々は自分の望みをかなえてくれる政党や政治家を選び支持しているが、社会を真の意味で良くも悪くもするのは、基本的に社会の権威や権力をつくりだしている私たち一人一人なのだ。
私たち個人が、日々の生活の中で、他者に対してどういう気持ちでどんなふうに相対しているのか・・私の心、願望・依存・所有が社会に競争・対立・争い・暴力・破壊・悲惨を生み出して、この腐敗した社会をつくっている・・それは歴史的事実なのです。


日本のサポーターがゴミを拾う  2014/6/18(水) 午後 5:03

6月17日、昼のNHKニュースから・・サッカーで日本が破れたあとの応援席で、サポーターがゴミを拾っている姿が各国のメディアに取り上げられて、称賛の声が寄せられているという。

オリンピックにしてもワールドカップサッカーにしても、自国の勝ち負けにこだわるメディアと国民の騒ぎとか、生活や教育予算の貧困を訴えるデモの人々の姿を見ると、そこに政治とは何なのかを見る思いがする。


日本が初戦で負けて日本中ががっかりしているニュースが流れる中、あたりまえといえばあたりまえなのだが、それでも何か少し慰められる話題を聴いて、それだけでも私の心はやわらぐような気がする。


*各紙から 
試合終了後、日本代表サポーターたちがスタジアムのゴミ拾いを行っており、その行為を、現地のブラジルメディアやイギリス紙などが称えている。

日本イレブンが観客席に向かって、深々と一礼し感謝の気持ちを示すと、サポーターたちは気持ちを切り替え、黙々とスタンドに落ちている飲食物の容器や包装紙をゴミ袋に入れ、清掃を始めた。

 英紙「メトロ」(電子版)も「フットボールファンは、大事な試合で負けると、ゴミを投げ、会場を汚すことが多い。しかし、日本のサポーターは善意の心を忘れなかった。このような光景を目にするのはまれなこと」と称賛した。

 中国メディアは「民度の高い国は尊敬に値する」「政治は置いておいて、学ぶべき点が多々ある」などネットユーザーの反応を伝えた。 


学ぶ   2014/7/17(木) 午後 11:08 

大人が子どもに教えるのが教育であり指導といわれているが、子どもたちや若い人たちの感受性から学ぶことは多い。
多くの大人たちにはそれが理解できないことが多いようです。成長とは鈍感を意味するのか・・・


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朝日(声)若い世代 「マイ傘袋」持参のすすめ  2014年6月30日

 中学生 平田結渚(埼玉県 14)

 梅雨に入り、雨が降る機会が増えてきました。デパートやスーパーマーケットなどでは、傘から垂れる水滴で店内がびちょびちょにならないように傘袋が設置されているところが多くあります。

 先日、あるデパートの前に置かれていた傘袋のコーナーにあったごみ箱を見ると、一度使っただけの傘袋がたくさん捨てられていました。最近はあらゆるお店で、地球温暖化対策のためにレジ袋を削減する取り組みをしています。傘袋も同じように考えてみてはどうでしょうか。

 傘袋がなければ店内は水浸しになってしまいます。だからマイバッグを持参するような感覚で、何度でも使うことができるマイ傘袋をみんなが持ち歩けばいいと思います。

 私たちが少しずつでも努力すれば、世の中の流れも変えていくことができると私は思います。 

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それと・・もうひとつほっとするようないい話が・・・。

朝日(ひととき)拾った命、今では家族  2014年7月17日

 昨年6月、買い物に行く途中、落ち葉だまりに手のひらに載りそうな小さなネコを見つけた。小刻みに震え、目は白い膜や目やにで覆われている。思わず、見つけるんじゃなかったと思った。このままだと間違いなく死ぬ。しかし、連れて帰っても飼えるだろうか。

 とりあえず動物病院に連れて行けば何か名案があるかも、とネコを自転車の前かごに入れた。病院で事情を説明すると「お金はいりません。だから何かの縁だと思って連れて帰って下さい」と獣医さん。結局何の答えも出せないまま、連れて帰った。

 それからわが家は大騒ぎ。ネコ用の哺乳瓶を買い、昼夜を問わず授乳し、外出時は両親に預けた。家族みんなであたふたしながら親バカ状態に。目は、ひと月もするとぱっちりと開くようになった。

 拾った日を誕生日と決めたので、先日、1歳になった。当時受験生だった次男が大学生になれたのは、生活にメリハリをつけてくれたネコのおかげ。年をとった両親も元気になった。あの日、小さな命を救ったと思っていたけれど、救われたのは私たち家族だったのかもしれない。今では大切な家族の一員だ。

 (さいたま市 斉藤久子 学校図書館司書 55歳)


地球の資源と競争社会  2014/8/6(水) 午後 1:57 

社会は進歩発展しているというが、世界では宗教・民族間の戦争が繰り返され、争い・暴力・悲惨・破壊は止むことがない。競争社会を疑うこともなく信じている市民・国民は、教育でも仕事でも政治でも自己の利益を追いかけて、弱者を切り捨てる教育・経済・政治を支え、自己の欲求を満たそうする。

「裕福な人々は高級品を消費する一方で、貧しい人々は生き残るためにあがいています。」
 (「幸福の国」の悩み 膨らむ欲望と格差 ブータン首相 朝日 2012・8・1から)

地球は、世界の生物を養うための資源・食料を備えているはずなのだが・・人間は頭を使って、何をしているのだろうか・・・。


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ニューヨーク・タイムズから)分断された米国 不平等は必然ではない 朝日 2014年8月2日

 ここ数十年にわたり、よからぬ傾向がじわじわと進行してきた。第2次大戦後に一丸となって成長したこの国は分裂を始め、2007年末に「大不況」に見舞われたときには、その亀裂はもはや見過ごせなくなっていた。いかにして不平等がかくも著しい先進国になったのか。

 現代の資本主義は、まがい物の資本主義である。その証拠は「大不況」への対応を振り返ればよい。利益は私物化されたにもかかわらず、損失は社会が負担した。完全競争であれば少なくとも理論上、利益はゼロになるはずだが、高い利益をどこまでも生み続ける独占や寡占が存在する。最高経営責任者(CEО)らは標準的な労働者の平均295倍もの所得を得ている。それに見合う生産性上昇の証拠は何もない。

 米国の大いなる分断を引き起こしたものが経済学の法則ではないとすれば、その正体は何か。答えは単純明快だ。米国の政策と政治である。スカンディナビア諸国の成功事例は耳にタコができるほど聞かされているが、実際のところスウェーデンフィンランドノルウェーの3カ国は米国と同等もしくはそれ以上の速さで1人当たり所得を増やすことに成功し、かつ、はるかに大きな平等をも手にしている。

    *

 ではなぜ、米国は不平等を拡大する政策をとったのか。一つの答えは、第2次大戦が記憶の奥へと消え去るにつれ、大戦がもたらした連帯もまた消えてしまったことだ。米国が冷戦に勝利したことで、米国経済モデルの有望な競争相手は存在しないように見えた。世界規模の競争がなければ、米国の体制が大多数の国民の期待に沿えることを示す必要はもはやなかった。

 イデオロギーと利害は非道な形で結びついた。ソビエト体制の崩壊から誤った教訓を引き出す者もいた。ソビエトの巨大すぎる政府から、米国の小さすぎる政府へと振り子が振れたのである。企業関係者らは規制撤廃を叫んだ。たとえ、それらの規制が私たちの環境や安全、健康、経済そのものを守り、改善するのに貢献していたとしてもである。

 だが、このイデオロギーは偽善的だった。自由放任主義経済の最強支持者に名を連ねる銀行家たちは、待ってましたとばかりに、国から何千億ドルもの支援を救済措置として受け取った。「自由」市場と規制緩和サッチャーレーガン時代の幕開け以降、グローバル経済の特徴として繰り返されてきたものである。

 こうして企業の助成は増え、貧困層の福祉は削られる。製薬会社は何千億ドルものお金を手にしてきたのに、メディケイド(低所得者向け医療制度)の給付は制限される。

 わが国の分断の根は深い。経済的、地理的なすみ分けによって、トップ層は下位層の抱える問題とは無縁になった。昔の王様よろしく、トップ層は特権的な地位を生まれながらの権利と考えるようになった。

 著しい不公正の代償を払ってきたのは米国の経済であり、民主主義であり、社会である。成長を享受してきたのは一握りの超富裕層で、その全所得に占める割合は1980年以降、ほぼ4倍になった。(富める者が富めば貧しい者も豊かになるという)トリクルダウン効果を生むはずだったお金は、ケイマン諸島の穏やかな気候の中に消えてしまった。

 米国の5歳未満の子どものうち、ほぼ4分の1が貧困の中で暮らしている。国の対策の遅れから、貧困は次の世代へと引き継がれている。もちろん完璧な機会の平等を実現できた国など、どこにもない。とはいえ米国はなぜ、若者の未来がこうもはっきりと親の所得や学歴で決まる先進国の一員になっているのか。

 正義の面でも、大きな隔たりがある。米国とはどんな国か、世界の人々の目に明らかにしたのが大量投獄の問題である。米国の人口は世界の約5%なのに、世界の全収監者の4分の1を抱えているのだ。

 正義は、ごく一部の人にしか手の届かない商品になった。ウォール街の重役連中は、08年の危機で明らかになった悪行の責任を取らされないよう報酬の高い弁護士を雇う。銀行家たちは法制度を悪用して抵当権を行使し、人々を強制退去させた。

    *

 米国は半世紀以上前、国連が1948年に採択した世界人権宣言を率先して支持した。今日、医療サービスの利用は、少なくとも先進国では最も広く認められる権利の一つである。ところが米国は例外なのだ。平均寿命、健康状態、医療受診のいずれにおいても、米国は大きく分断された国になってしまった。

 新たな貧困との闘いだけでなく、中間層を守る闘いにも私たちは取り組まねばならない。その解決策が目新しい必要はまったくない。手始めは、市場を市場らしく機能させることだろう。富裕層が制度を操って利益を得るような、利益誘導型の社会を終わらせなければならない。

 不平等の問題は、経済学のテクニカルな問題というより現実の政治の問題である。投機家や企業、富裕層の特権をなくし、上位層に相応の税金を納めてもらうことは、現実的で公平なことだ。教育や医療、インフラにもっとお金をかければ、米国経済は今も、そして将来も力強さを増すだろう。

 今ならまだ、世界における米国の立場を復活させ、私たちはどういう国民なのか思い出すことができる。不平等の拡大と深化をもたらしたのは不変の経済法則ではなく、私たち自らが作った法律なのである。(NYタイムズ・6月29日付、抄訳)

 ◇米コロンビア大学教授 ジョセフ・スティグリッツ

 43年生まれ。世界銀行チーフエコノミストなどを経て現職。01年にノーベル経済学賞受賞。



(私の視点)すべての人に食料を ジョゼ・グラジアノ・ダ・シルバ   朝日 2013年7月2日

ジョゼ・グラジアノ・ダ・シルバさん
 ◇飢餓の撲滅、夢ではない
 世界では8億7千万人余りが飢えに苦しみ、そのうち5億6300万人がアジアに住んでいる。私たちの目標は、昨年ブラジルで開かれた「国連持続可能な開発会議」(リオ+20)で潘基文(パンギムン)・国連事務総長が打ち出した「ゼロ・ハンガー・チャレンジ」に沿って、すべての人に「食料の安全保障」を確保することだ。夢の世界ではなく、政治の関与と適切な資金があれば、実現できる。
 FAOが創設された1945年当時とは異なり、世界には十分な食料がある。今の食料不安は、生産の問題ではなく、アクセス(入手)の問題である。多くの場合、食料を購入するための所得や食料を生産する資金が不足しているためだ。だから、目標達成には社会政策と生産政策それぞれのプログラムを結びつけた、包括的なアプローチが必要となると考えている。
 2000年、国連の加盟国はミレニアム開発目標(MDGs)として「より平和で繁栄する公正な世界」を創出し、「私たちの仲間である男性、女性、子供たちを極度の非人間的な貧困状態から解放する」ことを誓約した。MDGsで最初に掲げた、飢えに苦しみ、極度の貧困の中で暮らす人々の数を半減させるという目標は、38カ国で達成された。だが逆に言えば、残りの半数はまだ飢餓に直面していることを忘れてはならない。
 飢餓と極度な貧困に苦しむ人々の7割は農村に暮らし、多くは自給農家だ。これらの農家の生産性が向上すれば、家族だけでなく、村や地域の共同体も養うことができるようになる。学校給食や現金給付といった社会保護的な施策を結びつければ、子供の栄養状態の改善や地域経済の活性化など、有益な結果をもたらすことも可能になる。
 MDGsの達成期限まで1千日を切った。飢餓撲滅という、より野心的で、しかし実現しなければならない目標に近づくため、今こそ最後の一押しをする時がきている。
 食料にアクセスする権利は基本的人権の一つであり、施しを与える行為ではない。飢餓との闘いを人権の観点からとらえる国が増えていることは、取り組みを容易にするだろう。2015年以降の開発目標をめぐり、コロンビア、スペイン両政府とFAOなどが主導する協議の過程でも、その点が明確になっている。
 私たちは世界から飢餓をなくすことのできる最初の世代だ。このチャンスを生かそうではないか。
 (Jos●〈●はeにアキュート・アクセント〉 Graziano da Silva 国連食糧農業機関〈FAO〉事務局長)