いままでの記録 [9]


教育の成果とは  2016/12/11(日) 午前 0:14

子どもたちは、自分の目で現在を見ているのだが、親も学校教育も過去の経験・信念を押し付けるので、子どもは成長に従って過去の影を背負い、未来に投影するようになってしまう。

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(声 若い世代こう思う)  朝日 2016年12月10日
 
 ■虫の息づく自然を守りたい

 高校生 西脇拓朗(埼玉県 17)

 ふと外を見回してみる。家からは森が見える。というか、森しか見えないといっても過言ではない。そんな自然の多い場所で生まれ育った私は虫が大好きだ。

 幼稚園のころ、近くの原っぱでトンボやチョウをとって遊び、虫が好きになった。小学校になると、ファーブル昆虫記を愛読した。夏休みの自由研究で、アリの巣を調べたり、生き物の死骸に集まる虫を観察したりした。

 今も休みの日にはよく、近くの里山や原っぱで虫をつかまえる。家族旅行の時も、時間があれば虫を観察する。ただ、死なせるのはかわいそうなので、標本作りはしない。

 虫好きの私が一番心配しているのは、森林の荒廃が進み、虫の生息環境が悪化していること。私は虫の研究者になり、虫と森林の関係を調べ、様々な生物が息づく自然を守りたい。それが夢だ。

 ■貧困解消へ物的支援訴える

 高校生 藤戸美妃(大阪府 15)

 貧困問題の解決に貢献することが夢だ。以前の私は、物をあげるだけの物的援助は一時的な解決に過ぎないと感じていた。技術提供や教育など人的援助が必要だと思い、今夏、ボランティア団体に応募して、タンザニアの病院に行った。

 患者は薬を買うお金がないため、薬の無料提供をうたう私たちの病院に来ていた。私は出せる薬を渡して病を治してもらいたいと思ったが、薬の量や種類は限られていたため、患者に薬が渡されることはあまりなかった。物資不足の現実に私は胸が締め付けられた。

 この経験から、私は物的支援の重要性を感じた。無料診察のような人的援助は確かに重要だが、薬がなければ必要な治療はできず、患者の病状は悪化する。

 そこで私は決めた。新たな物的支援の方法を生み出し、人々に物的支援の重要性を伝えることで、夢をかなえようと。

 ■シェルターで動物の命を救う

 中学生 杉田冬乃(長崎県 14)

 私の夢は「アニマルシェルター」を運営することです。動物の避難所つまり捨てられたペットなど保健所で殺処分されるような動物を引き取り、保護する施設です。譲渡会を開き、新しい飼い主を見つけることもします。

 何の罪もないのに、人間の勝手な事情で命を絶たれそうな動物たちを救ってあげたい。ネットの動画でシェルターが紹介されているのを見て以来、そんな思いが強くなりました。まだあまり存在が知られておらず、基本的にボランティアで運営されています。このような施設の少ない、私の家のあたりのような田舎でこそ開きたいと考えています。

 では施設を立ち上げ、運営していくにはどうすればいいのか。今の私には良い案が浮かびません。しかし、きっと良い方法があるはずです。どうすれば夢を実現できるか、一生懸命考えていきます。

 ■本の挿絵通じて世界に笑顔を

 小学生 吉川凛乃(東京都 10)

 1歳半くらいから、ほぼ毎日絵をかいていて、今も、かき続けている。

 絵本を読んだり、読み聞かせしてもらったりするのが好きで、絵が好きになった。小学校にあがったころ、絵本をつくった。「シンデレラ」と「白雪姫」がまざったようなお話。親に読んでもらい、感想を聞くと「いいね。すっごくいい」とほめてくれた。それで自信がつき、恋愛や友情や家族など多様な物語や絵をかくようになった。特に女の子の絵をかくのが好きで、最近は学校生活などを題材にかいている。

 将来の夢はイラストレーター。挿絵をかきたいから。世界中の人に私の絵を見てもらって、笑顔になってもらいたい。日本語版も外国語版もある絵本の挿絵を手がければ、世界中のいろいろな人の感想やアドバイスが聞けるだろう。それを参考にかいていきたい。

 ■汗と涙の過程だって夢 歌手・高橋みなみさん(25)

 中森明菜さんに憧れ、歌手になるのが夢でした。夢に近づきたいと、14歳のときにオーディションでAKB48に。

 私は踊りが苦手な劣等生。私がついていけるよう、全員の振りが簡単なものに変えられたことも。朝まで家で練習を重ね、スタッフから「模範」と言ってもらえました。「努力は報われる」と実感しました。

 夢を持つのは楽しいけれど苦しい。でも、もがいている自分を楽しんではどうでしょう。挫折も寄り道も、振り返るとみんないい思い出になります。だから、挑戦し始めたら必死で続けてほしい。夢はかなうとは限りませんが、汗と涙の努力の過程も夢の一部です。

 私は長く歌っていきたい。当面の夢は、大みそかに東京・八王子で開くカウントダウンライブを成功させることです。


政治も司法もそろって「いじめ」とは・・  2016/12/22(木) 午後 1:19

政治が法律をつくり、司法がその法律に従うのだから、当然といえばその通りなのだが・・、元は国民と言われるひとりひとりの総和が、そんな方向を向いてということなのだ。それが子どもたちのいじめを形作り支えていることには、みなさん気がついていないようです。

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(声)「沖縄イジメ」見過ごしもイジメ 朝日  2016年12月21日
 大学非常勤講師 佐藤くみ子(東京都 68)

 沖縄県の米軍普天間飛行場の移設計画をめぐる違法確認訴訟の上告審で、県側が敗訴しました。沖縄県が、現状を全国に伝える機会として期待していた弁論すら開かれませんでした。

 国がしていることは沖縄イジメです。みんなが嫌う「迷惑施設」を沖縄に押し付けて、「それしかない」と言っているのですから。

 どんなに沖縄が民意を示しても、国は無視。「基地は要らない」と抗議するオジイやオバアを、本土から来た機動隊員がごぼう抜きしていく様子は見ていられません。どうして、こんなひどいことがまかり通るのでしょうか。

 オジイやオバアは、沖縄戦の地獄を生き抜いた命をかけて、「軍事基地」は要らないと言っているのです。戦争前の静かで穏やかな沖縄を取り戻し、亡くなった人々に報いたいのです。

 「迷惑施設」はみんなで分担するか、それができないのなら思い切ってつくるのをやめるべきです。私たち本土の無関心は無責任そのものです。私たちの沖縄軽視が、世論の有り様が、国の姿勢を形作っているのだと思います。

 イジメを見過ごすのは、イジメです。


(社説)辺野古訴訟 民意を封じ込める判決   朝日 2016年12月21日
 役所がいったんこうすると決めたら、それを役所が自ら覆すことは難しい。たとえ多くの人の思いと違っても、当初の決定に違法な点がなければ裁判所は取り消しを認めない――。

 沖縄・米軍普天間飛行場辺野古沖への移設計画をめぐる訴訟で、裁判所が示した判断を一言でいえばそうなる。

 最高裁はきのう沖縄県側の上告を退ける判決を言い渡した。前の知事が認めた海の埋め立て処分を、後任の知事が取り消すことができる要件は何か。そんな法律論を淡々と展開したうえで導き出した結論である。

 12ページの判決全文から浮かびあがるのは、民主主義の理念と地方自治の精神をないがしろにした司法の姿だ。

 たしかに行政の意向が二転三転したら、業者らに混乱が起きる。だが自治体がめざす方向を決めるのは住民だ。辺野古移設に反対する県民の意思は、県トップの交代を招いた2年前の知事選をふくむ数々の選挙によって、くり返し表明されている。

 にもかかわらず、政府は以前の路線をそのまま引き継げと次の知事に迫り、裁判所も政府に待ったをかけない。

 沖縄の人びとの目には、国家権力が一体となって沖縄の声を封じ込めようとしているとしか映らないのではないか。

 判決が及ぼす影響は辺野古問題にとどまらない。動き出したら止まらない公共工事など、この国が抱える病を、行政自身、さらに司法が正すことの難しさをうかがわせる。その観点からも疑問の残る判決といえよう。

 沖縄県側の敗訴が確定し、政府は埋め立て工事にお墨付きを得たことになる。だが、事態が収束に向かうわけではない。移設までにはなお多くの手続きがあり、民意を背負う翁長知事は与えられた権限をフルに使って抵抗する構えだ。

 それを知りつつ、政府が工事再開に突き進むのは賢明とはいえない。沖縄の声を政策決定過程に反映させることにこそ、力を注ぐべきだ。

 訴訟に先立つ6月、国と地方との争いの解決にあたる第三者委員会は、普天間の返還という共通の目標の実現にむけた真摯(しんし)な協議を、政府と県の双方に求めた。政府はこれに前向きとは言いがたいが、「辺野古が唯一の解決策」と唱え続けても、展望が開けないのはこの間の経緯から明らかだ。

 安倍首相は「沖縄の気持ちに真に寄り添う」大切さを説く。自らの言葉を実践し、この小さな島が抱える負担を少しでも軽くする道を示さねばならない。


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どこを見ているのか  2017/1/30(月) 午前 9:41

トランプを持ち出すまでもなく、経済とか教育を持ち出す前に、私たちが知らなければならないことが、目を向けなければならないことが・・ある。日本国内にもひどい貧困と悲惨があるが、もう少し遠くの世界にも、想像もしなかった世界がある。
蛇口から勢いよく出る水があたりまえの日常になっていることでいいのだろうか・・と考えてしまう。

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(社説)米政権と報道 事実軽視の危うい政治  朝日 2017年1月29日(日)

 自由な報道による権力の監視は、民主社会を支える礎の一つである。トランプ米大統領には、その理解がないようだ。

 政権は発足直後から報道機関との対立を深めている。

 トランプ氏は「私はメディアと戦争状態にある」としつつ、報道機関を「地球上で最も不正直」と非難した。

 大統領の側近は米紙に対し「メディアは屈辱を与えられるべきだ。黙ってしばらく聞いていろ」と語り、批判的な報道を威嚇するような発言をした。

 ゆゆしい事態である。

 権力者の言動をメディアが点検するのは当然のことだ。報道に誤りがあれば、根拠を示して訂正を求めればよい。政権が一方的に攻撃し、報復まで示唆するのは独裁者の振るまいだ。

 そもそもこの政権は、事実の認定という出発点から、ゆがんだ対応をみせている。

 就任式の観衆の数をめぐり、8年前と今回の写真を比べ、オバマ氏の時より相当少なかったとした報道に、トランプ氏は「ウソだ」と決めつけた。

 「過去最多だった」とする政権の根拠のデータをメディアが疑問視すると、政権高官は「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)」と強弁した。

 その後もトランプ氏は「不法移民が投票しなければ、自分の得票数はクリントン氏より上回っていた」などと、根拠を示さないまま発言している。

 「事実」を共有したうえで、議論を重ねて合意を築くのは民主主義の基本だ。政権が事実を曲げたり、軽視したりするようでは、論議の土台が崩れる。

 政策全般について、正しい情報に基づいて決められているのか、国民や世界は疑念を深め、米政府の発表や外交姿勢も信頼を失っていくだろう。

 トランプ氏は実業家時代、知名度を高めるのにメディアを利用したことを著書などで認めている。大統領選では既成政治とともに主要メディアも「既得権層」と批判し続けた。

 だが大統領に就いた今、自身が批判と点検の対象になり、重い説明責任を負うことをトランプ氏は認識する必要がある。

 一方、ツイッターでの発信をトランプ氏は今も続けている。政治姿勢を広い手段で明らかにすることはいいが、自分に都合の良い情報だけを強調し、気に入らない情報は抑え込むという態度は許されない。

 権力と国民のコミュニケーションが多様化する時代だからこそ、事実を見極め、政治に透明性を求めるメディアの責任は、ますます重みを増している。


・資産額「上位8人=下位36億人」 国際NGO「格差拡大」  2017年1月17日
 国際NGO「オックスファム」は16日、2016年に世界で最も裕福な8人の資産の合計が、世界の人口のうち、経済的に恵まれない下から半分(約36億人)の資産の合計とほぼ同じだったとする報告書を発表した。経済格差の背景に労働者の賃金の低迷や大企業や富裕層による課税逃れなどがあるとして、経済のあり方に抜本的な変化が必要だと訴えている。

 スイス金融大手クレディ・スイスの調査データと、米経済誌フォーブスの長者番付を比較して試算した。下位半分の資産は、上位8人の資産の合計約4260億ドル(約48兆6千億円)に相当するという。

 オックスファムは昨年の報告書で、15年の下位半分の資産額は上位62人の合計(約1兆7600億ドル)に相当するとした。今回は新興国で詳細なデータが追加されたことで、下位半分の資産額が世界全体の資産に占める割合は、15年の0・7%から0・2%に減った。

 報告書は1988年から2011年の間に下位10%の所得は年平均3ドルも増えていないのに対し、上位1%の所得は182倍になり、格差が広がっていると指摘している。

 (ダボス=寺西和男)


(コラムニストの眼)気候変動の否定 トランプ氏、飢えの現実見よ ニコラス・クリストフ  朝日 2017年1月24日
 トランプ氏は気候変動を繰り返しあざ笑い、中国によるでっち上げだと言ったことさえある。だが、アフリカ南部沖に浮かぶマダガスカルでは、気候変動は誰の目にも明らかだ。

 島の南部ではこの数年の雨不足と凶作で、島民がじわじわと飢えに苦しんでいる。国連の推計では、マダガスカルだけで100万人近くが緊急の食糧支援を必要としているという。

 米気象学会紀要に発表された最新の研究は、人為的要因により引き起こされた気候変動がエルニーニョ現象を激化させ、エチオピアの一部とアフリカ南部の雨量を著しく減少させたと結論づけている。豊かな国々が排出した炭素によって貧困にあえぐ人々が打ちのめされているというのは不公平だ。

 私が訪れたマダガスカルの集落では、歩いて3時間のところにあった井戸が枯れ、村人は今では3時間歩いた末、トラックで水を運んでくる男から買うしかない。だが、村人はほとんどお金を持っていない。子どもに学校をやめさせ、食べられる草木を探しに行かせている家もある。

 私が最も胸を締めつけられたのは、マダガスカル南端近くで出会った2人の飢えた少年の姿だった。両親は生き延びる手段を見つけるため、集落を後にした「気候難民」だ。

 少年たちを預かったおばは、サボテンのとげを取り除き、軽くゆでた。栄養はほとんどないが、2人はそれを食べた。「与えられるものがなくて、胸が張り裂けそうです」。少年たちは夜になると時々、おなかをすかせて泣く。それはまだ良いサインだという。餓死寸前になると泣かなくなり無表情になる。2人はそのようになりつつある。

 気候変動と食糧危機との関係は単純であるとか、解決策は明快だと言うつもりはない。それでも私たちは、何が被害を和らげる助けになるか知っている。

 それは、長い目で見ると、地球温暖化に歯止めをかけるパリ協定や、オバマ政権が打ち出した「クリーン電力計画」を守ることだ。炭素に価格をつけ、再生可能エネルギーの研究にもっと投資することも必要だ。短・中期的には、気候難民や苦しんでいる人に対する支援を強化しなければならない。

 もっとも基本的な出発点は、米国の新大統領(トランプ氏)が「気候変動は現実である」という、教育を受けていないマダガスカルの村人さえも理解していることを認めることだ。

 (〈C〉2017 THE NEW YORK TIMES)
 (NYタイムズ、1月7日付、抄訳)


(社説)夜間中学 学び直しの場広げよう  2017年1月29日
 学ぶ機会を十分に得られなかった人が通う夜間中学。山田洋次監督の映画「学校」で存在を知った人も多いのではないか。

 その充実を目的のひとつとする教育機会確保法が、来月全面施行される。学び直しの場を広げるきっかけとしたい。

 夜間中学は戦後の混乱期に、仕事や家の手伝いなどで学校に通えない子のために始まった。

 いまは中学を卒業できなかった中高年だけでなく、不登校だった子どもや外国から移り住んだ人も集う場になっている。

 だがその数は、東京、大阪、神奈川など8都府県にわずか31校しかない。

 もっと需要があることは、14年に文部科学省が行った調査から明らかだ。ボランティアらで運営する「自主夜間中学」は、識字学級もふくめて全国に約300カ所あり、夜間中学の4倍以上にあたる約7400人が通っているという。

 確保法はこうした状況を踏まえ、夜間中学の設置や自主夜間中学の支援などを行い、希望する人に就学の機会を提供するよう自治体に求めている。文科省も「都道府県に1校以上」という目標をかかげ、来年度予算案に自治体の新設準備についての調査研究費を盛り込んだ。

 国と地方が連携して、事態を前に動かしてもらいたい。

 文科省は、施策を総合的に進めるための基本指針づくりに取り組んでいる。現場の実情をよく知る教職員やボランティアの声をていねいにくみ上げ、指針に反映させてほしい。

 学校の設置だけでなく、教育条件の整備も欠かせない。

 年齢や国籍、学習の習熟度が様々な生徒を指導するには、一般の学校を上回る数の専任教員が必要だ。力量も問われる。

 生徒への経済支援はどうか。

 普通の小中学校に通う子どもについては、学用品や給食、通学などにかかる費用の一部を、国や市町村が援助する制度がある。夜間中学を設置している自治体の多くも同様の支援をしているが、「支給期間や対象が限られるなど十分とは言えない」との声がある。新法の趣旨を踏まえた充実策が必要だ。

 夜間中学のなかには、生徒が昼の中学の文化祭に行ったり、逆に昼の生徒が夜の授業を受けたりして、勉強する意味や喜びを確かめあっている例がある。外国人が日本語を学び、日本の習慣を身につけることは、互いの垣根を低くして、住みよい地域社会づくりにつながる。

 「わがこと」として、学びのセーフティーネットを厚くする営みを重ねていきたい。


天声人語スマホの吸引力   2017年1月18日 
 指弾とは誰かを非難することである。この人の場合は、指先を動かしてつくった短文が弾になって飛んでくるようだ。米大統領への就任式を控えるトランプ氏が、ツイッター攻撃を続けている▼選挙で対立候補を支えた人たちをこきおろし、メキシコに工場をつくる自動車会社を非難する。早朝の書き込みが多いと聞くと、寝ても覚めてもスマホから離れない姿を想像してしまう▼スマホは操作しなくても、そばにあるだけで注意が散漫になる。そんな実験結果を北海道大学河原純一郎(かわはらじゅんいちろう)特任准教授らが発表した。大学生40人を2組に分けてパソコンで作業をさせた際、片方は電源を切ったスマホを目の前に置き、片方は代わりにメモ帳を置いた。スマホ組のほうが1・2倍、作業に時間がかかった▼「画面に触れなくても、視界に入るだけで意識がスマホに向かってしまうのでは」と河原氏は話す。たしかにポケットにあるだけで気になる存在である。人により影響の程度は違うだろうが、引き込む力は侮れない▼先頃亡くなった社会学ジグムント・バウマン氏は、携帯電子機器を持つことで人は「孤独という機会」を捨てると書いた。孤独こそは、考えを整理したり煮詰めたり、反省したり想像したりするよすがなのだと訴えた(『リキッド・モダニティを読みとく』)▼スマホから何日も離れ思索する。筆者もそんな時間に憧れるが、結局小さな機器に頼る日々である。振り回されぬよう、上手な距離の取り方を思索してみたい。


流れを見る 2017/3/11(土) 午後 11:35

何が正しいことなのか・・最近そんな疑問を強く感じる出来事が多くなった。トランプは人々の考える流れなのか・・・。
読書に何の疑問もなく肯定一方の社会の流れに疑問を呈した大学生の言葉は、教育とか学問の疑うことの難しい問題を提起したことに賛成する。

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クルーグマンコラム@NYタイムズ)政権に蔓延するうそ 誰がトランプ氏を止める?   朝日 2017年3月10日
 ジェフ・セッションズ米司法長官のうそがばれた。上院の指名公聴会で、2016年の大統領選の期間中にロシア当局と接触したことを否定していたが、実際には駐米ロシア大使と2度面会していた。しかも、大使は大物スパイでもあると報じられている。

 この事実が明るみに出たために、セッションズ氏は、ロシアが大統領選に介入した疑惑の捜査に関与しないと言わざるを得なくなった点は、見過ごせない。そうでなければ、トランプ陣営と結託していた可能性があるロシアの疑惑の捜査は、彼が指揮していただろう。

 だが、セッションズ氏ばかりに焦点を当てるのはやめよう。何しろ閣僚ではほかにも、スコット・プルイット環境保護局(EPA)長官、トム・プライス厚生長官、スティーブン・ムニューシン財務長官といった人たちがうそをついている。

 そして、マイケル・フリン氏もこの仲間に入るはずだった。だが、大統領補佐官だったフリン氏は、セッションズ氏と同じように駐米ロシア大使との接触についてうそをついたことをメディアに暴かれ、そして、辞任せざるを得なくなった。

 いまやトランプ政権の幹部の中で、宣誓した上でついたうそがばれていない人を数える方が、ばれた人を数えるより早い。偶然に起こったことではない。

     *

 かつて、米国の政治文化の批評家たちは、政治家が常に情報を操作していることを糾弾したものだった。それには根拠があった。政治家たちは、やっかいな事実を軽く扱い、自らの行動を実際よりはるかに良く見せることが当たり前になっていた。だが、情報操作の時代は終わったことが明らかになっている。代わって、露骨で恥知らずな欺瞞(ぎまん)の時代になった。

 もちろん、うその蔓延(まんえん)には、トップに立つ男の性格が反映している。

 これまで、どの大統領も、あるいはどんな主要政治家も、ドナルド・トランプ氏ほど自由にかつしょっちゅう、うそをついたことはない。これは、単にトランプ氏の話にとどまらない。少なくともこれまでのところ、彼はうまく逃げ切っているが、数多くの人々の協力があってこそできている。共和党選出議員のほぼ全員、多数の有権者、そしてかなりのメディアが加担している。

 重要なのは、「政治家はいままでいつもうそをついていたし、これからもずっとそうだろう」などと、冷笑するだけで済まさないことだ。トランプ氏のやり方は、これまで私たちが経験してきたすべてと異次元のレベルにある。

 一つ例を挙げると、かつて政治家が真っ赤なうそをつくのは、簡単には調べがつかない、秘密の話やら、闇取引やらに限られていた。だが、現大統領は、3年前にモスクワでミスユニバースの大会を開催し、つい昨年には「私はロシアをよく知っている」と明言していながら、先月に「ロシアにはこの10年、電話もかけていない」と言う男だ。

 政策に関しても、政治家が虚偽の説明をするのは、これまでならば比較的検証しづらい主張に限られていた。ジョージ・W・ブッシュ元大統領は、減税の主な対象は中間層だと力説したことがある。事実ではなかったが、それを明らかにするにはかなり膨大な計算をしなければならなかった。

 しかし、トランプ氏の主張は、殺人発生率がこの45年間で最悪だというものだ。だが、発生率は2015年に上昇したとはいえ、1990年の半分しかない。さらに、主張の間違いが証明された後も、とにかく繰り返し言い続けている。

     *

 ここで問われるのは、いったいだれが彼を止めるのか、という点だ。

 共和党議員が道徳性に欠け、大統領を制止するような行動をとりそうにもないことは、日に日にはっきりしている。たとえ、外国勢力のスパイに(政権を)打倒しようとする動きがあり、政権幹部がそのストーリーに一枚かんでいる可能性が現実的になったとしても、状況は変わりそうにない。富裕層の減税と貧困層への給付の削減を行える限り、ひるむことはなさそうだ。

 現在の選挙制度の状況では、本選挙が多くの政治家にとってあまり意味を持たなくなっている。つまり、現実的には共和党予備選の有権者が政治を決している。やっかいな真実は決して入り込まない、FOXニュースの世界しか知らない人たちだ。

 ジャーナリズムはどうなっているのか? 言論界も私たちを失望させるのか?

 公平を期すために言うと、トランプ政権発足後の数週間には、ジャーナリズムの栄光の日々があった。独裁気質の連中が隠し通そうとしている秘密を、記者たちは洗い出してきた。そのプロ意識と勇気は、高く評価しなければならない。

 だが、問題は、その後にトランプ大統領が議会で行った施政方針演説への反応だ。大半のニュースメディアを見ると、絶望を感じる。演説内容は、うそとひどい政策提案だらけだった。それがプロンプターに映し出され、落ち着いた口調で読み上げられると、だれもが突然、「うそつき長官」を「大統領にふさわしい」と断言するようになった。

 たったそれだけで、かつてなく欺瞞に満ちた男のみそぎが済み、米国の最高位に就任できるのなら、絶望的だ。そんなことが再び起きないように、願おう。

 (〈C〉2017 THE NEW YORK TIMES)

 (NYタイムズ、3月3日付 抄訳)



(論壇時評)東芝原発 時代が止まってはいないか 歴史社会学者・小熊英二  朝日  2017年2月23日
 世間には、若かった頃の「常識」で頭が止まっている人がいる。例えばドナルド・トランプの以下の発言だ〈1〉。

 「日本が攻撃されれば米国は軍事力を全面的に行使しなければならないが、我々が攻撃を受けても日本の連中は家でくつろぎ、ソニーのテレビを見ている」

 ソニーのテレビが全盛だったのは昔の話だ。赤字続きだった同社のテレビ部門は、2014年に分社化された。経団連榊原定征会長は、トランプ氏は「1980年代の日米貿易摩擦の頃の認識」で発言していると苦言を呈した〈2〉。

 一連の発言からわかるのは、トランプの周囲に、時代錯誤を指摘してくれる人がいないということだ。あるいは注意をしても、耳を貸さないのだろう。こういう人は、過去に一定の地位を築き、周囲に甘やかされている中高年に多い。

     *

 このような、社会の変化についていけない人が責任ある地位にいると、様々な問題が出る。不正会計で信用を失ったうえ、時代遅れになった産業に固執して債務超過になった東芝は一例だ。東芝原発部門OBはこう述べる〈3〉。

 「世界の原発建設を担うと決めてしまい、引くに引けなかったのだろう。まっとうな経営センスを持っていたら、福島の事故以降はやめる」

 63年に発電が始まった日本の原発は、高度成長の象徴だった。製造業が主産業だった時代には、電力消費量と経済成長率が連関していた。石油ショック後は国策で補助金が投入され、90年代半ばまで原発は順調に増えた。この時代の「常識」で、頭が止まったままの人も多い。

 だが90年代末から、日本の原発建設は停滞。「夢よもう一度」とばかりに、2005年ごろに原子力再興の動きがあったが、実態が伴わなかった。

 それでも東芝は06年、米国の原発メーカー、ウェスチングハウス(WH)社を破格の高額で買収した。これが今回の債務超過につながったのだが、なぜそんな買収をしたのか。

 その理由は二つある。一つは、旧来路線への固執だ。社内には買収に異論もあったが、当時の社長は「(国内で)そのままやっていくと撤退のシナリオ。ということは他社を買収するしかない」と考えたという〈3〉。原発事業の行き詰まりがわかっていたのに、撤退時期を見誤り、追加投資を注ぎ込んだのだ。

 もう一つは、社内民主主義の不足だ。原発部門から昇進した別の社長は「人の言うことを聞かない」ことで知られ、当人も「(社員が渡してくる)1回目の書類は見ずに突き返したほうが次によくなる」と放言していた〈4〉。

 そこに加わったのが、最後は国が助けてくれるだろうという「日の丸原発」意識だった。東芝OBによれば、社内の原発部門は「国や東京電力だけを見ているような特殊な世界」であり、社会の側を見ていなかったという〈4〉。

     *

 福島原発事故は、すでに停滞していた原発事業への「止(とど)めの一撃」となった。日本の電力需要は11年度以降5年連続して減少。産業界と一般家庭の双方に、節電意識と省エネ技術が広まり、鉱工業生産指数が伸びた時期でも電力消費量は減少した。2年にわたって全原発が停止しても電力供給に問題はなく、今に至るも数基の原発しか動いていない。原発なしでも問題ないことが明らかになり、世論調査では再稼働に反対が6割近い。

 また再生可能エネルギーが、急速に普及している。国際エネルギー機関(IEA)の調査結果によれば、15年の世界の再生可能エネルギーに対する投資は約36兆円に達し、発電設備全体への投資のうち約7割を占めた〈5〉。日本でも、16年初夏には太陽光がピーク時で全電力需要の30%を供給した〈6〉。

 それに対し原発のコストは上昇している。15年3月期には、日本の電力会社の原発維持費は総計約1兆4千億円に上った〈7〉。再稼働を審査する新規制基準を通過するには、原子炉1基に数千億円の追加投資が必要で、電力11社は総額で約3兆3千億円を見込んでいる〈8〉。福島事故の処理費用は21兆円を超え、さらに増えるのが確実だ。

 原発のコストは、ほとんどが安全に運転するための費用である。人々の安全意識が上がればコストも上昇する。世界中で安全意識が傾向的に高まり、とくに福島事故後は原発建設のコストが上昇して、採算がとれなくなった。金子勝は12年に「原発不良債権である」と述べたが、それが現実になりつつある〈9〉。

 このたび東芝債務超過になった直接の原因は、原発建設費の上昇負担をめぐる訴訟相手の米企業から、原発建設部門を買収したことだった。買収動機は、訴訟を続ければ東芝とWH社の収益悪化が露呈してしまうので、買収と訴訟和解でそれを隠蔽(いんぺい)することだったと細野祐二らは指摘している。相手会社は、簿外債務付きという条件で、0ドルで原発建設部門を売っている〈10〉。

 権威主義、民主主義の不足、変化への不適合。結果としての債務と不正。残る手段は「親方日の丸」だろうか。ある政府関係者は「大事なのは原発であって東芝ではない」と述べ、原発事業を国が救済する考えを漏らしたという〈11〉。

 しかし、今やババ抜きの「ババ」となった原発を引き受けて国が破綻(はたん)しても、それを助けてくれる「親方」はいない。もはや社会の変化を直視し、原発からの「勇気ある撤退」を決意する時である。

     ◇

 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。著書『首相官邸の前で』が近く刊行される。監督を務めた同名の記録映画のDVD付き。脱原発運動の分析論文や作家・高橋源一郎氏との対談なども。



朝日(声)読書はしないといけないの?   2017年3月8日  
 大学生 安部雄大(東京都 21)

 「大学生の読書時間『0分』が5割に」(2月24日朝刊)という記事に、懸念や疑問の声が上がっている。もちろん、読書をする理由として、教養をつけ、新しい価値観に触れるためというのはあり得るだろう。しかし、だからと言って本を読まないのは良くないと言えるのだろうか。

 私は、高校生の時まで読書は全くしなかった。それで特に困ったことはない。強いて言うなら文字を追うスピードが遅く、大学受験で苦労したぐらいだ。

 大学では教育学部ということもあり、教育や社会一般に関する書籍を幅広く読むようになった。だが、読書が生きる上での糧になると感じたことはない。

 役に立つかもしれないが、読まなくても生きていく上で問題はないのではないかというのが本音である。読書よりもアルバイトや大学の勉強の方が必要と感じられるのである。

 読書は楽器やスポーツと同じように趣味の範囲であり、読んでも読まなくても構わないのではないか。なぜ問題視されるのか。もし、読書をしなければいけない確固たる理由があるならば教えて頂きたい。



教育と生きていることの意味  J.クリシュナムルティ から

 過去の世代は彼らの野心、伝統、理想とともに、世界に悲惨と破壊をもたらしてきました。たぶん来るべき世代は正しい種類の教育とともに、この混乱状態を終らせ、より幸福な社会的な秩序を築くことができるでしょう。若い人々が尋ねる精神を持つなら、彼らが政治的、宗教的、個人的、環境的なあらゆるものごとの真実を絶えず見つけ出そうとしているなら、そのとき若者たちは大きな意味を持つでしょう。そしてよりよい世界の希望があるのです。

 たいていの子供たちは好奇心が強い。彼らは知りたがります。しかし彼らの熱心な質問は私たちの独断的な主張、私たちの高慢ながまんできなさ、彼らの好奇心を私たちがむとんじゃくに無視することによって、鈍くなるのです。私たちは彼らの質問を励ましません。というのは私たちはむしろ私たちに尋ねられるかもしれないことを気づかっているからです。私たちは彼らの不満足を養いません。というのは私たち自身質問することを止めてしまったからです。

 たいていの両親と教師は不満を恐れます。なぜならそれはあらゆる形の安全に対して邪魔をするからです。それで、彼らは若い人々が安全な仕事、受け継いだもの、結婚、宗教的な教義の慰めを通じてそれに打ち勝つように励まします。年長者は心とハートを鈍らせる多くの方法をあまりにもよく知っているだけなので、彼ら自身が受け入れてきた権威、伝統、信念を子供に押し付けることによって、子供を彼らが鈍いのと同じように鈍くし始めるのです。

 子供がそれが何であれ本に疑いをかけ、現存する社会的な価値、伝統、政府の形態、宗教的な信念などの有効性を調べるように子供を励ますことによってのみ、教育者と両親は子供の批判的な油断のなさと鋭い洞察を目覚めさせ養うことを望むことができるのです。


ノーベル賞と五輪・・に思う  2017/3/26(日) 午前 1:10

ノーベル賞と五輪・・に限らず、貧困と格差がこの国だけの問題ではなく、イラクでもシリアでもやたらに人が、子どもたちの命が、何か虫けらのように扱われているとき、たとえ医療や科学や文化であっても、競争の勝利者にばかり光が当てられることに、いつも違和感と疑問を感じている。
原発放射能汚染がいつの世に解決に向かうのか・・誰にも予想もできないときに、日本ではオリンピックの費用の問題で騒いでいるし、メディアはどこも3月になるといっせいに特集を組んで大騒ぎ(?)しているが、人々の心はどこを向いているのだろうか。

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(記者有論)ノーベル賞と五輪 メダル偏重せず「基礎」も 稲垣康介  朝日 2017年3月24日
 ロンドンの北部に「文武両道」のかがみのような人物の名を冠した庭園がある。フィリップ・ノエルベーカー卿(1889~1982)。軍縮運動に生涯をささげ、ノーベル平和賞を受賞した。陸上選手としても一流で、20年アントワープ五輪の男子1500メートルで銀メダルを手にした。

 ノーベル賞と五輪メダルの両方を手にした人は歴史上、ノエルベーカー卿しかいない。日本なら偉人として名をとどめる経歴だが、ロンドンの職場で英国人の同僚2人に聞いてみたら、名前すら知らなかった。「英国人がノーベル賞を受賞しても、日本メディアのように大騒ぎしない」という。毎年のように受賞者が出るから珍しくないそうだ。

 もっとも、五輪はというと、英メディアは5年前のロンドン五輪で、自国のメダル量産に大騒ぎした。

 私も五輪についてはあおってきた張本人だ。担当競技で日本人がメダルを取れば原稿を打つ手が弾んだ。

 一方で、メダル至上主義に加担する後ろめたさも、どこかにあった。

 昨年、ノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典さんの言葉に触れ、その思いを強くした。

 大隅さんは研究に短期的な成果を求める日本の風潮に警鐘を鳴らした。「次から次へと若い人が生まれてくる体制を作ってくれないと、日本の科学は空洞化する」。財政難で予算が限られる中、国は近年、すぐに成果を見込めそうな研究に競争的資金を重点配分し、基礎研究にしわ寄せがいく傾向があるそうだ。

 スポーツに置き換えてみる。

 東京五輪パラリンピックが3年後に迫る。日本オリンピック委員会は金メダルで世界3位を目標に掲げ、スポーツ庁も2017年度予算案でメダル獲得をめざす競技力向上に95億円を盛り込み、後押しする。

 参考になる事例がある。英国は躍進したロンドンに続き、有望種目に強化費を重点配分する戦略が昨夏のリオデジャネイロ五輪でも功を奏し、金メダル27個と米国に次ぐ2位だった。東京大会に向けては、さらに傾斜配分を強めた。フェンシング、バドミントン、卓球、アーチェリーなどは強化費がゼロ査定。強化責任者は「東京でより多くのメダリストを生み、国を活気づけるために妥協はしない」と説明した。アスリートが国威発揚の道具であるかのような思想は反面教師に思えてくる。

 大隅さんが重んじる「基礎」をスポーツに例えるなら、目先のメダルではなく、裾野の広がりではないか。その点、新年度予算案を見ると、メダル有望種目、東京五輪世代を中心とする支援に偏りがちだ。

 国の新しいスポーツ基本計画は「スポーツ参画人口の拡大」に力点を置く。かけ声倒れではなく、誰もが気軽に、身近に体を動かせる環境への目配りを忘れたくない。

 (いながきこうすけ 編集委員


この国の政治 2017/4/26(水) 午後 6:34

「大震災が東北でよかった・・」などという無感覚・無神経な発言で辞めさせられた復興大臣にしても、国有地を私物化したり、移民排除・自国利益主義のトランプにしっぽを振ってついてゆく総理大臣に、それでもついてゆくつもりなのか、この国の半分の人々は・・・。
東北にしても沖縄にしても、この国の人々の大半は、自分がその土地に住んでいないと、同情するのは簡単だが、その立場に立って真に理解して行動するのは・・やはり難しいのか・・・それが選挙であり政治の中身・実体なんだろう。

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(社説)辺野古埋め立て強行 「対話なき強権」の果てに   朝日  2017年4月26日(水)

米軍普天間飛行場の移設先、名護市辺野古沿岸できのう、政府が護岸工事に着手した。

 沖縄県や多くの県民の反対を押し切っての強行である。

 従来の陸上工事や海上の浮き具設置と異なり、埋め立て予定地を囲む護岸を造るため、海に大量の岩石や土砂を投入する。このまま進めば一帯の原状回復は困難となる。辺野古移設は大きな節目を迎えた。

 この問題が問うているのは、日本の民主主義と地方自治そのものである。

 ■原点は基地負担軽減

 政府は安全保障上、米軍基地は必要だと強調する。これに対し、県は県民の安全・安心のため基地の削減を求める。

 政府のいう公益と、地方の公益がぶつかった時、どう折り合いをつけるか。対話のなかで合意できる領域を探ることこそ政治の使命ではないか。

 ところが安倍政権は、県との話し合いには一貫して後ろ向きだ。国と地方の異なる視点のなかで歩み寄りを探る政治の責任を放棄した。その帰結が今回の埋め立て強行にほかならない。

 移設計画が浮上して21年。改めて原点を思い起こしたい。

 太平洋戦争末期、沖縄は本土防衛の「捨て石」とされ、悲惨な地上戦を経験した。戦後も本土の米軍基地は減ったのに、沖縄では米軍の強権的な支配のなかで基地が広がっていく。

 念願の本土復帰後も、基地があるがゆえの米軍による事故や犯罪は続く。積み重なった怒りのうえに1995年の米兵3人による女児暴行事件が起き、県民の憤りは頂点に達した。

 この事件を契機に、沖縄に偏した基地負担を少しでも軽減しようと日米両政府が合意したのが、普天間返還である。

 紆余(うよ)曲折を重ねるなかで政府と県は「使用期限は15年」「軍民共用」という条件で合意したはずだった。だがこれも県の意向を十分に踏まえぬまま、米国との関係を最優先する政府の手で覆されてしまう。

 ■強まる「軍事の島」

 しかも移設計画には大型船舶用の岸壁や弾薬の積み込み施設など、普天間にない機能が加わっている。だから多くの県民が「負担軽減どころか新基地建設だ」と反発しているのだ。

 最近も北朝鮮情勢の緊迫を受け、米軍は嘉手納基地にF15戦闘機などを並べ、戦闘態勢を誇示した。さらに「新基地」建設で軍事の島の色彩を強めることは、県民の負担増そのものだ。

 他国軍の基地がこんなにも集中する地域が世界のどこにあるだろう。政府はいつまで沖縄に過度の負担を押しつけ、差別的な歴史を強いるのか。

 だが安倍政権の対応は、けんもほろろだ。

 前知事が埋め立てを承認する際の約束だった事前協議を県が求めても「協議は終了した」。県の規則にもとづく「岩礁破砕許可」の更新も必要ないと主張し、3月末に期限が切れており更新が必要だとする県と真っ向から対立する。

 政府が前面に掲げるのは、翁長知事の埋め立て承認取り消し処分は違法だとする「司法の判断」だ。一方、県は名護市長選や県知事選、衆参両院選挙で反対派を相次いで当選させた「民意」を強調する。朝日新聞などの直近の県民意識調査では、65%が辺野古埋め立ては「妥当でない」とし、61%が移設に反対と答えた。

 ■本土の側も問われる

 ことは沖縄だけの問題にとどまらない。

 自らの地域のことは、自らの判断で考える。地域の自己決定権をできる限り尊重する――。その理念に沿って、地方自治法が1999年に大幅改正され、国と地方の関係は「上下・主従」から「対等・協力」へと転換したはずである。

 それなのに、考えの違う自治体を政府が高圧的に扱えるとなれば、次はどの自治体が同様の扱いを受けてもおかしくない。

 沖縄県の異議にかかわらず、政府が強硬姿勢をとり続ける背景に何があるのか。

 本紙などの沖縄県民調査では、基地負担軽減について「安倍内閣は沖縄の意見を聞いている」が27%にとどまったのに対し、全国を対象にした調査では41%と差があらわれた。

 沖縄の厳しい基地負担の歴史と現実に本土の国民の関心が薄いことが、政権への視線の違いに表れているように見える。

 翁長知事は今回の工事の差し止め訴訟などの対抗策を検討している。政府と県の対立は再び法廷に持ち込まれそうだ。

 現場の大浦湾はジュゴンやサンゴが生息し、世界でここでしか確認されていないカニなど新種も続々と報告されている。

 翁長知事は語る。「国防のためだったら十和田湖松島湾、琵琶湖を埋め立てるのか」

 その問いを政府は真剣に受け止め、姿勢を正す必要がある。

 沖縄の過重な基地負担に依存している本土の側もまた、同じ問いを突きつけられている。