自分の足元が見えない
選挙・選挙で、政治家もマスコミも、そして国民というひとかたまりにされた集団も、大さわぎしているが・・米国や世界の大きな動きも含めて、人間の心というものがここにも見えてくるようだ。社会は貧困・格差・差別を置き去りにするかのように、人は上の方ばかり見て、自分の足元は見えていないことにも気づいていないのではないか。
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「日本をリセット」して、何をめざすのか。相変わらず、その核心部分が像を結ばない。
たとえば民進党からの合流組に、希望が公認の条件として署名を求めた政策協定書だ。
「社会の分断を包摂する、寛容な改革保守」という党の綱領と、どう整合するのか。
多くの選挙区でほかの野党との競合が目立つのも疑問だ。非自民でつぶし合うような候補擁立は結果として、安倍政権を利することになる。
小池氏自身は立候補を否定している。では、選挙後の首相指名投票でだれに投じるのか。党運営をだれが統括するのか。
菅官房長官は「政策に賛同いただくのであれば、しっかり対応していく」と、選挙後の希望との連携に期待を示す。
今回の衆院選は、おごりと緩みが見える「安倍1強」の5年間への審判と、次の4年をだれに託すかの選択である。
「安倍政治」をどう評価し、どこを変えるのか。
まずそこを明確に説明することこそ、全国規模で候補を擁立し、政権選択選挙に挑む政党の最低限の責任ではないか。
(問う 2017衆院選)財政軽視、「未来」の切り売り 朝日 2017年10月4日
これまで同様、ここで首相が求めるのは痛みの受容ではない。痛みを先送りし給付を手厚くするという易(やす)き選択肢への賛意だ。これはログイン前の続き結局、私たちの「未来」の切り売りではないか。
この種の国民受けする政策はふつうなら、やりたくとも財源がない。そのジレンマを一挙解消する魔法の杖がアベノミクスだった。
安倍政権は、日本銀行に超金融緩和の一環として大量の国債を買わせている。おかげで政府がいくら借金を重ね、首相がいくら増税を延期しても、国債価格は急落しない。日銀が紙幣を刷って政府の赤字をまかなう「財政ファイナンス」は財政法で禁じられているがそれに限りなく近い。
現実には本物の魔法の杖はない。この杖も永久に使い続けることはできない。後の世代へのツケがどんどん膨らんでいくだけだ。
戦前も政府は軍費調達のため財政ファイナンスに手を染めた。終戦直後、国民は預金封鎖や重課税、超インフレに苦しめられた。敗戦だからそうなったのではない。財政ファイナンスでごまかしてきた財政破綻(はたん)が敗戦で表面化しただけだ。
借金膨張を止められなかったのは歴代政権の責任だが、どの政権も危機感はあった。それが結実したのが5年前、消費税率10%への増税を決めた3党合意だ。
その成果を安倍政権は増税延期でいとも簡単にほごにした。そして再び借金を膨張させようというのだ。
財政がいちど傾いたら私たちの生活は脅かされ、子や孫の未来は悲惨なものになる。立て直すのは数十年がかりだ。だから百年の計が求められる。時の政権が延命のために「未来」を切り売りすることなど許されていいはずがない。
(編集委員・原真人)