政治と選挙と信じていない心


私は、もう20年も選挙に行っていない。新聞やTVでも、選挙に行かない人の意見や考えも、ほとんど出てこないのは、当然といえば当然のなりゆきなのかもしれない。以前、「暮らしの手帳」の花森安治編集長が投票用紙に「X」だったか、何か否定的な表示を書いて投票したことを書いていたが、それもひとつの意思表示になると思う。

わかりやすくいえば、「より良い人」・・つまり自分の願い・利益がかなうと思われる人を、みんさん投票しているのかもしれませんが、この社会の格差で苦しんでいるような子どもたちや女性や貧困者のことを考えて、「地球の資源をみんなで分け合う」という視点で考える人は、そして選ばれるそんなひとが、この社会にどれほどいるのだろうか・・・と考えてしまう。

はじめはそう考えていたとしても、政治は人々の心・願望の対立・競争であって、結局はそれぞれ自分の利益に従って社会は動いているのではないかという・・「自分の心・欲望」を理解して、私たちひとりひとりの心が変わらない限り、政治は地位・金・欲望・争い・暴力・腐敗からは逃れられないことは歴史が証明しているようだ。

そんな私たちの「心」を、あらためて立ち止まって振り返ってみるような記事が今朝の新聞に出ている。

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(日曜に想う)無関心と呼ばれる政治不信 編集委員・大野博人  朝日 2017年9月17日

 人は自分で選んだ者たちを信じていない――。ある世論調査のデータを見ながら奇妙だけれど腑(ふ)に落ちると感じた。

 大阪商業大学のJGSS(日本版総合的社会調査)研究センターが拠点となって定期的に続けている全国調査の最新の結果だ。あらためて民主主義の危機について示唆的だと思った。

 そこには社会に影響を持つ15の組織や仕組みへの信頼感を問う項目が含まれているのだが、これまでと同様に今年も「国会議員」の信頼度がかなり低い。回答の選択肢は「とても信頼している」「少しは信頼している」「ほとんど信頼していない」「わからない」の四つ。そのうち信頼に肯定的な二つを合わせても29・4%。逆に「ほとんど信頼していない」は、52・2%に上る。「市区町村議会議員」も不信が45・2%と高い。

 今年のサンプル数は744と比較的少ないが、約2千から3千のサンプルを集めた2000年から15年まで10回の調査も似たような傾向を示す。議員たちより信頼されないのは「宗教団体」だけ。

 逆に信頼の選択肢の合計が安定して高いのは「病院」で90%前後、「学校」も70から80%台。最近は「裁判所」「自衛隊」「警察」「金融機関」で70%台、「大企業」で60%台が続く。「学者・研究者」もおよそ70%だ。「中央官庁」と「労組」はやや落ちて40から50%付近を上下している。

 「新聞」には80%台、「テレビ」には70%台の信頼が寄せられているが、不信度は上昇傾向。自戒しなければ。

 あきらかに人々は自分たちで選んだわけではない人たちの方を信頼している。

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 この夏、朝日新聞の「声」欄で、読者が選挙での棄権と白票をめぐって意見を交わした。

 一つの投稿がきっかけだった。「投票先がないなら何も書かない白票を」と提案し「白票は政治不信に対する明確な意思表示」と主張していた。

 これに対して「白票数が多ければ何かが変わるのでしょうか」「少しでも自分が大切にしていることに考え方の近い人や政党を選んで欲しいな」「白票は与党を利するだけ」と批判的な声が寄せられた一方、白票に意味を持たせようという提案も。それが「1位となれば、その選挙区では当選者が出ないことに」。

 意見が分かれても投稿に共通してにじむのは、政治家や国会への不信だ。「傍若無人な国会運営を追認し、保身のみに汲々(きゅうきゅう)としている議員たち」「首相の国会でのヤジ、はぐらかし、閣僚の失言、暴言は最高度。あぜんとする」

 信じることがむずかしい者たちの中から選ぶしかない切なさ。

 この5月に大統領選があったフランスでも有権者たちが同様の葛藤に揺れていた。棄権するか白票を投じた人は有権者の約3分の1と、歴史的な高さになった。決選に残った2人の候補の「どちらも信頼できないのにどうして投票できるのか」と考えた人が多かったからといわれた。

 民意を政治に届ける民主主義の動脈があちこちで詰まっている。

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 選挙とは本来、自分が信頼できるだれかを選ぶ仕組みのはずだ。しかし、多くの人が不信の思いを伝える手段にしようとする。ある人は棄権し、ある人は白票を投ずる。そしてまたべつの人は、「よりひどい」者を排除するために「まだまし」な者に一票を入れる。選挙結果が表現するのは、だれかへの信頼ではない。だれかへの不信だ。

 日本の国政選挙の投票率は低下傾向が続く。近年では半分近くの人が投票所に足を運ばない。議員を信頼していない人がざっと半分という調査データと重なる。低い投票率が示すのは、政治への無関心というより政治への不信と読める。

 民主主義では選挙こそが正統性の根拠だ、とだれでも考える。だがその結果、人々がもっとも信頼していない者たちが民主的な正統性を独り占めすることになるのだとしたら。

 奇妙だと思う。そして、このことは腑に落ちない。