世の中の今を見る・・

この社会と世界を見るときに、「私たちはどう生きるか」という視点がどこかにいってしまっている・・と思うときがある。
そんなことを考える日もある中で、この高校生も言うように、ある意味で・・社会の動きに大きく左右すると思われるメディアとかネットに動かされている世論とか、私たちの興味とかものの考え方までもが・・何か知らない間に「動かされている、従っている」ように思われて、注意しなければと思う。

社会の政治・経済から文化・教育・スポーツに至るまで、対立・争い・暴力・破壊・悲惨・戦争の根源には人類の理想・欲望・競争があって、人々はそこに疑問を感じていないようだ。
子どもは生まれたときから、記憶力・学力その他の能力を開発し、他者との競争に勝ち残ることが要求され、それを人は成長と呼んでいる。

こうして人間は、欲望と所有と、それにしたがってうまれる上下関係・権力・支配の結果としての・・現在まで続いている貧困・格差・差別がある。

若い時には、過去の知識や経験に縛られない「現在」の目でものを見ているので、教育されて見えなくなってしまった大人社会の疑問・事実・真実が見えるときがあるのだが、それもいつか社会にのみこまれ消え去ってしまうのだろうか。

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大切な日を行事化しないで   朝日(声)   2017年11月2日
 高校生 清藤日向子(青森県 16)

 かつての大きな自然災害や事件が起きた日が近づくと、「あの日から○年」といったタイトルや言葉がテレビ番組などでよく使われる。色々なメディアが特別企画を立てるが、私はその伝え方は間違っていると思う。

 被災者のための募金への協力や事件の新たな真相を伝えても、「そのログイン前の続き日」が過ぎると何もなかったかのように切り替わる。テレビの情報番組では、誰かの不倫や新しいドラマが話題の中心となる。まるで忘れてはいけない日が、行事化されているようだ。これではただのお祭り騒ぎに過ぎない。

 地震やテロなど非日常的なことが度々起こる世の中で、人は命の尊さや他人を思いやることの大切さを学んでいく。大きな社会の変化があった日を年に一度の「ネタ」にするのではなく、今、当たり前に暮らしていることの幸せに気づく「タネ」として、普段から様々な切り口で被災地や被災者、被害者の現状などを伝えていって欲しい。そうすることで、災害に対する意識を変えたり、犯罪を減らせたりする効果があるはずだ。

 「その日」のために何かをするのではなく、その時にあったことのために何かができるように、世の中の今を見ることが私たちには必要だと思う。