日本と世界はどうなってしまうのか

西日本豪雨で、これから誰にも起こりうる危険・被害を考えないわけにはいかないことになって、ようやく東京オリンピックでの酷暑対策が問題になり、外国からも懸念の声が寄せられるようになったが、あの時の招致運動に国民が熱を上げたことがダブって見えてくる。

政治とは、選挙とは、支持率とは、そして国民とは何なのか・・・。いまの目に余る政治は、政治家の問題ではない・・大ウソつきの首相に、内閣に、自民党に、そんなひどい政治に、国民の支持率は下げ止まって、腐った政権はまだ続いてしまいそうだ。・・ここに記録しておくしかない。

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(社説)わたしたちの現在地 深まる危機に目を凝らす    朝日  2018年7月29日
 うその答弁に文書の改ざん、言いのがれ、開き直り――。民主主義をなり立たせる最低限のルールも倫理もない、異常な国会が幕を閉じて1週間になる。

 豪雨被害、そして酷暑に人々の関心は移り、不都合なもろもろを、このままなかったことにしてしまおうという為政者の思惑が、少しずつ、しかし着実に世の中を覆っていく。

 私たちの日本社会はいま、危うく、きわどい地点にさしかかっているのではないか。

 ■忠誠が生み出す罪悪

 来月3日まで東京・岩波ホールで公開されている映画「ゲッベルスと私」の主人公ブルンヒルデ・ポムゼルは、第2次大戦当時、ユダヤ人虐殺を進めたナチスの宣伝相ゲッベルスの秘書として働いた。顔に深いしわが刻まれた103歳が語る。

 「私は、言われたことを忠実にやっていた」

 彼女が担った役割は、ナチスの犯罪のごく末端にすぎない。だがそうした小さな悪の集積が大きなうねりとなり、当時のドイツを破滅に追いやった。

 「私に罪はない」とポムゼルは言う。たしかに自分もその一人ではあった。でも、みんなが同じく加担したのだ、と。

 ナチス親衛隊の元中佐で、ユダヤ人を強制収容所絶滅収容所に送りこむ実務責任者だったアドルフ・アイヒマンを思い起こす人も少なくないだろう。

 戦後逃亡して1960年に逮捕された彼もまた、自らの裁判で、上司の命令と当時の法、つまり総統ヒトラーの意思に忠実だったまでで、自分に罪があるとは感じていないと述べた。法廷を傍聴した政治哲学者のハンナ・アーレントは、権威への追従が重大な罪につながる「悪の陳腐さ」を指摘している。

 大きな流れのなかで一人ひとりの罪の意識は薄まり、上に立つ者の意を踏まえた無責任の構造が、「悪」を行うことへの抵抗をなくしていく。

 ■奇っ怪な記録と記憶

 ナチスの所業と安易に対比することはできない。だが、森友問題でこの国の官僚が見せた態度に、相通じるものを見る。

 「文書の廃棄や改ざんの方向性を決定づけた」とされる当時の理財局長の下、多くの財務省職員が、およそ公務員にあるまじき行為に手を染めた。

 そもそも、優秀な官僚のはずの局長は、改ざんに走る以前に、なぜ基本的な事実関係すら確認せずに「記録はない」と虚偽の国会答弁をしたのか。この根本的な疑問に、財務省の調査報告書は答えていない。

 はっきりしているのは、「私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」と安倍首相が国会で発言した直後から、廃棄と改ざんに向けた動きが始まったということである。

 もう一方の加計学園問題でも不可思議な話が尽きない。

 元首相秘書官は、首相に不利に働く事実は頭の中からきれいに消えてしまい、その逆については鮮明に覚えているという、特異な記憶力を披瀝(ひれき)した。

 もうひとつ。獣医学部の新設をめぐって学園理事長と首相が面会していた旨の記載が、愛媛県の文書に残っていた。本当ならば、これまでの首相の答弁は根底から崩れる。すると突然、学園の事務局長が「私が県に誤った情報を伝えた」と言い出した。面会がないとしたら、前後の事実のつじつまが合わなくなるのに、お構いなしである。

 ジョージ・オーウェルの小説「一九八四年」の世界では、歴史は常に支配者の都合で書き換えられる。反抗した主人公は捕らえられ、「党」があらゆる記録や、個人の記憶まで管理するのだとたたき込まれる。

 首相の周辺で起きていることは、この約70年前に書かれた逆ユートピア小説に重なる。

 ■手遅れになる前に

 黒を白と言いくるめる。国会を愚弄(ぐろう)し、反対意見にまじめに向きあわない。権利や自由を縛る法律を力ずくで制定し、憲法を軽んじる。そんなことを続けても内閣支持率底堅い

 不満はあるが、経済はそこそこうまく回っているようだし、何よりとって代わる適任者が思い浮かばない。モリカケ問題が日々の生活に直接悪い影響を及ぼしているわけでもない。そんなところが理由だろうか。

 だが民主主義は、適正な手続きと真摯(しんし)な議論の交換があってはじめて成立する。その土台がいま、むしばまれつつある。

 危機の兆候を見逃したり、大したことにはなるまいと思ったりしているうちに、抜き差しならぬ事態に立ち至る。歴史が警告するところだ。

 そうさせないために何をすればいいか。政治への関心を失わず、様々なルートや機会を通じて、社会とかかわり続ける。あきらめずに行動し、多様な価値観が並び立つ世界を維持する。それらを積み重ねることが、くらしを守る盾になるだろう。

 なんだか息苦しい。そう感じたときには、もう空気が切れかかっているかもしれないのだ。

豪雨災害に見えてくる

西日本の豪雨で、家や車や命まで一気に危機にさらされて、酷暑の中での人々の作業がいつまで続くのか・・その画像を見ながら考える。どうしてこんなことになってしまうのか・・それこそが政治というものではないか。大ウソつきの首相と支える政治家と支持する半数近い国民がいる。経済が発展しているとえばっているが、金持ちや上の方ばかり向いて、日々の生活で精一杯の経済的弱者のことなど目にはいらない。沖縄の基地でも政治家と一緒に本州人は冷たいし、地方がどんどんさびれていくのも捨て置いて、山や川の危険区域にも予算を回さず、それこそがこの結果なのだ・・・。

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拡大する西日本大豪雨被害 鮮明になってきた政治の責任 2018年7月10日 日刊ゲンダイ
 9日、安倍首相が11日から予定していた欧州・中東への外遊を中止すると発表した。西日本を中心とする豪雨被害の全容もまだ分からない状況では、当然のことだ。なぜ、もっと早く中止を決めなかったのか。

 豪雨による被害者の数は増え続け、10日時点で死者132人、行方不明者は70人を超えている。豪雨と土砂に沈んだ町が手つかずの衝撃。ようやく救助や捜索が始まった地域もある。生存率が著しく下がるとされる「発生から72時間の壁」を迎える中、安倍政権の豪雨災害対応があまりにヒドイと、批判は広がる一方だ。

 気象庁は5日の午後2時には、臨時会見で記録的大雨の恐れがあるとし厳重警戒を呼び掛けていた。すでに住民への避難指示も出ていたその日の夜、安倍が議員宿舎で開かれた自民党議員との懇談会に参加し、酒盛りに興じていたことに怒りの声が上がっている。参加議員がSNSに投稿した写真には、笑顔で乾杯する安倍や小野寺防衛相、上川法相らの姿がある。豪雨災害の危険が強まり、翌日には元オウム真理教幹部7人の死刑を控えている政権の面々とは、とても思えない。

 批判が拡大していることを受け、自身も会合に参加していた竹下総務会長は、9日になって「どのような非難もお受けする」とか言っていたが、毎度のことで、こんなのポーズだけ。会合を延期するという常識的な判断すらできない政権に、マトモな災害対応ができるものか。この間の対応を見れば、今頃になって安倍が「全力であたってもらいたい」と指示したところで、鼻白むだけなのである。

■災害対応より総裁選が大事か

議員宿舎自民党の若手議員が閣僚や党幹部と懇談する『赤坂自民亭』は15年4月に始まり、今回が27回目だったそうですが、安倍首相の出席は初めて。9月の総裁選に向けた選挙活動の一環でしょう。3選が確実になってきた総裁選と外遊の準備で浮かれ、災害対応にはまったく思いが至らなかったのではないか。8日にようやく非常災害対策本部を設置して、『先手先手で被災者支援にあたって欲しい』などと言っていましたが、その時点ですでに後手後手で、危機管理能力の欠如を露呈しています。安倍首相は何かにつけて民主党政権東日本大震災への対応を批判してきましたが、安倍政権のお粗末な災害対応は、民主党を批判できるようなレベルではありません」(ジャーナリスト・横田一氏)

 安倍は9日も、公邸に自民党静岡県議を招いて会食。総裁選での地方票固めの一環だ。会食では静岡名産のメロンが話題に上り、安倍は「静岡のメロンは非常においしい」と言って、TPPで静岡の農産物を海外に広めることを提案したという。

 未曽有の災害で、食べるものにも困っている被災者がいるというのに、メロンか。

 この非常時に選挙対策とは、やはり安倍は被災地のことなんて興味がないのだろう。

 北朝鮮がミサイルを飛ばせば、すぐさまJアラートで国民を叩き起こすくせに、平成最悪の豪雨被害はまるで他人事。この初動の遅さ、鈍さはいったい何なのか。

 さすがに、いま自衛隊革命記念日の軍事パレードに参加させるためにパリに連れて行くわけにいかず断念したようだが、外遊もギリギリまで可能性を探っていた。災害対応より、総裁選や自己アピールの方が大事とみられても仕方ない。 

 
自然災害への対策よりミサイル防衛にかまける愚

 それにしても、日本では豪雨による水害や土砂災害が年々、ひどくなっているのではないか。

 今回も甚大な被害が出ている広島県では、99年6月の集中豪雨でも新興住宅地などで土砂災害が発生し、32人が犠牲になった。14年8月にも豪雨の影響で土石流が住宅地を襲い、70人以上が犠牲になった。

「自然災害の被害が拡大しやすくなったのは、政権の危機意識だけの問題ではない。歴代自民党政権による“人災”の側面が大きいのです。社会環境学者で治水政策に詳しい滋賀県嘉田由紀子前知事も言っていますが、倉敷市などで町が水没してしまったのは、治水で最も重要な堤防補強がおろそかにされ、ゼネコンが儲かるダム建設を自民党政権が優先してきたことが原因です。また、古くからの地主は経験的に水害リスクの高いところを知っているのに、黙って宅地開発業者などに土地を売って儲けてきた。そういう土地に新興住宅地や福祉施設が建てられてきました。地主側は地価が下がるのを嫌って、ハザードマップの公開には反対の立場です。そういう地主に支えられ、富裕層の代弁をしてきたのが自民党であり、庶民はリスクを知らされないまま、ローンを組んで買ったマイホームが水没してしまう。災害は自然現象であると同時に社会現象でもあるのです」(横田一氏=前出)

 自民党政権が農家を切り捨て、公共事業をバラまき続けてきたことも地方を弱体化させた。農業の担い手はいなくなり、過疎化が進んだ集落は孤立化する。

 災害に弱い町がそこらじゅうに増えてしまった。 

「山間部の水田は自然のダムの役割を果たしていました。それが耕作放棄地と化し、山を間伐して管理する人もいなくなって、“緑のダム”としての森林の機能も失われてしまった。林業が衰退したのは、昭和30年代に木材の関税をゼロにして自由化を進めたせいで、材木の値段が下がってしまったからです。それで山が崩壊し、水が止まらなくなってしまった。無理に宅地化すれば、土砂崩れも起きやすくなります。二酸化炭素の自然循環で環境を守ってきた農業や林業が廃れ、温室効果ガスが大気中に広がったことも、各地の豪雨に影響しています。政治の責任は大きい。今回の豪雨や土砂災害は、そういう意味では人災なのです」(東大教授・鈴木宣弘氏=農政)

■森林環境税でハゲ山を増やすのか

 過疎化を推し進め、山を守らなかった自民党政治が被害を拡大させた。そんな地方にトドメを刺そうとしているのが安倍だ。

 新自由主義に突き進み、経済格差を広げ、総仕上げのTPPで地方と日本の農業を殺そうとしている。

「安倍首相はよく『国民の生命と財産を守る』と言いますが、上っ面の言葉だけなのです。国土や国民の安全よりも、常にオトモダチ企業の利益を優先してきた。今年度の税制改革で森林環境税が創設されることになりましたが、これだって、森林を守るためではなく、ハゲ山をつくるのに使われるのです。自民党は、手入れがされていない山は許可なく伐採していいことにし、来年からは国有林も、企業が勝手に切っていいことにするという。大企業はバイオマス発電のために自由に森林を伐採し、利益を得ます。その木を切る費用を森林環境税で補填しようとしているのです。今回の西日本の豪雨も、たまたま広範囲で甚大な被害が起きたわけではない。『今だけ、カネだけ、自分だけ』で目先の利益を追求してきた安倍政治のツケなのです。ここで反省しないと、取り返しがつかないことになる。秋の総裁選で安倍首相を延命させたら、この国はボロボロになり、自然災害のたびに、もっとひどい被害が出るでしょう」(鈴木宣弘氏=前出)

 この国では毎年、台風や集中豪雨で犠牲者が出る。地震も頻発している。ミサイルより、自然災害に見舞われる確率の方が断然、高いのだ。しかし、ミサイル防衛にはカネを惜しまない安倍が、災害対応には無関心で、豪雨被害の拡大が懸念される最中に能天気に酒を食らっていたという事実。西日本の有権者は、こんな目に遭っても自民党の安倍政権でいいのか。

 今こそ本気で怒らないと、いつまた同じことが起きるか分からない。犠牲になるのは、いつだって庶民なのだ。 

同じ地球の生き物

新聞の同じ面に載っていたこの二つの記事と、二人の対比・・比べるわけでないけれど、生き物や他者に対するものの見方の違いが見えてきてしまう。政治とか社会の足元にあるものは、案外こういう簡単素朴なことなのかもしれないと思う。

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(声)若い世代 こうちゃん、天国でも元気でね 朝日 2018年6月22日 
 小学生 石戸千遥(東京都 10)

 かっていた金魚が亡くなりました。名前は「こうちゃん」。ようち園のイベントですくってきたので、ようち園の名前からとりました。

 こうちゃんは6年間生きました。太陽のようなオレンジ色でいつもピカピカとかがやいていました。家族の一員で、私が毎日朝晩えさをあげていました。

 こうちゃんの病気にもう少しはやく気づいていればな。もう少しはやく水そうのそうじをやっていればな、とこうかいしています。とても悲しいです。

 私のゆめは動物のしいく員ですが、病気に気づいてあげられないのは、しいく員しっかくです。命をあずかるということはすごく重要な仕事だと思いました。動物をかっている人はきちんとちょうしを見てあげ、最後までかわいがってあげるのがかいぬしの仕事だと思いました。


(社説)米国と人権 大国の原則軽視を憂う   朝日  2018年6月22日
 人権を重んじる大国を標榜(ひょうぼう)してきた米国が、自らその看板を下ろす行動を続けている。国際機関でも米社会でも、トランプ政権の人権軽視が甚だしい。

 米国が、国連人権理事会からの脱退を発表した。国連総会が選ぶ47の理事国が集い、世界の人権を監視している組織だ。

 その活動が偏向しているというのが、脱退の理由だという。実際には、米国の友好国イスラエルへの肩入れのためだ。

 先月、パレスチナのデモ隊にイスラエル軍が発砲し、多数が死傷する事件がおきた。人権理事会は調査団の派遣を決め、国連総会はイスラエルによる攻撃を非難する決議をした。

 米国はこれに反発したわけだが、そもそもパレスチナの怒りの原因をつくったのは米国だ。国際批判を無視して、在イスラエル米大使館をエルサレムに移したことが騒乱を招いた。

 中東の安定を顧みない外交で混乱を招きながら、国連の対応が気に入らないとして、人権理事会から脱退する。そんなトランプ政権の身勝手さは、世界の失望を買うだけでなく、米自身の影響力を衰えさせている。

 人権理事会は、北朝鮮やシリアなどの人権侵害にも取り組んできた。これらの国の後ろ盾である中国やロシアは、米国批判を強めている。人権を軽んじる強権国が発言力を増す機会を、米国が提供している。

 問題の根本は、トランプ大統領の人権感覚にある。かねて人種や性差別などで不適切な言動を重ねてきたが、今月は移民への対応が論議を呼んでいる。

 拘束した移民の親と子どもを当局が引き離す痛ましい状況が伝えられ、与野党を超えて抗議が広がった。政権はやむなく対応を変えたが、不法移民を例外なく拘束し、訴追する「不寛容政策」は続けるとしている。

 移民政策は各国に共通する難題ではあるが、移民大国の米国が多様な包容力を失う意味は深い。今後も続く移民・難民の波と、米国など受け入れ側の摩擦は、国際的な人権水準を守る上で大きな不安要因となろう。

 日本にとっても影響は重い。トランプ氏は今月に会った北朝鮮金正恩(キムジョンウン)氏をたたえ、「彼が話す時、国民は直立して聞く。米国民も同じようにしてほしい」と語った。人権問題をただす決意は見えない。

わずかな救いになるのか・・

明らかな大ウソつきで救いようのないこの国の総理大臣と、わかっていながら支える自民党議員その他勢・・・そんな救いようのないこの国の政治。
そんな中に、わずかながらの光になるのか・・この人の発言。

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加計・森友、自民からも異議 小泉氏「特別委設置を」 竹下氏、調査検証へ 朝日 2018年6月7日 
 自民党小泉進次郎・筆頭副幹事長が6日の党会合で、加計学園問題を調査する特別委員会の国会設置を求めた。前日には、森友学園問題で竹下亘総務会長が財務省調査に異議を唱え、党独自に検証する考えを表明。安倍晋三首相に近い党幹部らが問題の幕引きを急ぐ中、2人の発言は波紋を呼びそうだ。

 「どう考えても、『愛媛県にうそをついた』というのはおかしい。(参院に)特別委員会を立ち上げてほしい」

 参院橋本聖子会長や吉田博美幹事長も出席した6日朝の会合で、小泉氏が声を上げた。愛媛県文書に書かれていた学園理事長と首相の面会を学園側が「なかった」と否定していることを挙げ、「おかしい」を連発。参院自民党が、参院の行政監視機能を高めるためにも定数増の必要性を訴えていることを逆手に取って、「与党の方から『委員会を設置してくれ』ということが真の行政監視だ」と提案した。

 表に見える党内の大勢は、首相やその周辺の意向に沿って幕引きムードだ。この日の会合でも、出席者から「外交などの重要課題もある中、いつまでも森友・加計問題をやっているのか」という声も上がった。

 ただ、小泉氏の発言を「正論だ」(閣僚経験者)と好意的に受け止める意見も党内にはある。世論の人気を背に党内に一定の影響を持つ小泉氏の提案は実現するのか。特別委の設置を求められた参院幹部は「ありえない」と、今のところ距離を置いている。

 一方の森友問題。5日の総務会で財務省の調査結果に異論が噴出したことを踏まえ、竹下氏が検証を表明。竹下氏自身も調査結果を「ストンと落ちる状況ではない」と指摘した。

 問われるのは、財務省の調査以上に踏み込めるかどうかの実効性だ。党に3月に設置された「財務省公文書書き換え調査プロジェクトチーム」は、首相に近い柴山昌彦・筆頭副幹事長が座長を務めた。問題に厳しく切り込むことはなく、「現在は休眠状態」(党幹部)。

 竹下氏はこのプロジェクトチームを再活用するか、新たに調査委員会を立ち上げるかを検討する。メンバーの選定や調査のあり方についても「もう1回総務会で話をすることもあるかもしれない」と述べ、首相に批判的な総務会メンバーにも意見を聴く考えを示している。(南彰)

自分の姿が見えなくなって・・

早さと便利を求める科学技術の進展で、私たちの生活にどのような変化や影響があるのか・・そのことに気がつく暇もない時代の変化を考えるきっかけにもなるのか・・・。

スマホに釘付け・・何度話しかけてもスマホから目を離さない」

「街に出ると小さな画面から離れられない―こうべを垂れて歩いている人の群れ・・もはや手の先にくっ付いた臓器の一部なのでは・・・」

などの声も、どこからか聞こえてくる。

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(声)スマホのない時代だったらなあ 朝日 2018年6月2日
 高校生 寺井杏雛(埼玉県 16)

 あと少し早く生まれてきたかった。私が強くそう感じたのは正月に行った海外旅行がきっかけだった。

 私は小学5年生の時、家族とオーストラリアに行った。初めての海外旅行だった。当時は今ほどスマートフォンで何でも調べることはできなかった。

 そのため、ホテルの従業員におログイン前の続きすすめのレストランを聞いたり、店までの道を街でいろんな人に尋ねたりと、たくさんのコミュニケーションをとったことを鮮明に覚えている。

 今年再び家族でオーストラリアに向かった。今度はレストランもその場所もすべてスマートフォンで調べることができた。

 しかし私は何か物足りなさを感じていた。それは便利さの陰で失われてしまった人と人とのつながりだった。そして小学5年生のときは何げなく交わしていた現地の人たちとの会話がものすごく恋しくなった。

 私たちの生活は豊かになったのか。確かに便利にはなった。でもそれはかえって私たちから大切なことを奪っているのではないか。

 あと少し、スマートフォンが普及する前に、生まれてきたかった。

国民の欲望がつくりだす政治


世界の動きを見ても、民主的な方法・手段と信じられている「選挙」で選ばれた政治家の、気まぐれで思いつきの政策が世界でも、ここ日本でも・・様々な対立・争い・暴力・悲惨・破壊をもたらしている。

それを支えている国民とは、私たちひとりひとりの総和ともいえるが、それは個人の願望・欲望なのであって、その土台には『この競争社会で競争に勝ち残り、地位・財産をいかに多く勝ち取るか」があって、その闘いは生まれたときからの親の子育て・教師・指導者による学習と言われている訓練によって強化される。

それは子どもたちが本来持っている「動物や草花や他者に対する感受性・興味・関心」は次第に失われ、先に生まれたものが自分の優位性を保つために、知識・経験・習慣・伝統という過去を持ち出して、後輩を従うように強制する手段としてしばし使うことになる。

政治がやっている「対立・ウソ・ゴマカシ」は、私たちの欲望の集約であり、対立の姿であることが見えてくる。

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(日曜に想う)政官中枢、荒んだ「卑」の景色 編集委員・福島申二  朝日 2018年4月29日

 昭和映画の名匠だった小津安二郎の言葉が、このところ胸に浮かぶ。

 「人間は少しぐらい品行は悪くてもいいが、品性は良くなければいけないよ」

 これは小津の生き方の芯であり、人を見る基本でもあったらしい。小津の求めた品性とは、いわば精神のたたずまいであろう。「品行は直せても品性は直せない」としばしば口にしたそうだ。

 言葉遊びのようにも聞こえるが、言われてみれば品行と品性のニュアンスは違う。二つの語を並べて小津が示した人間像を、城山三郎さんの小説のタイトルを借りて表すなら「粗にして野だが卑ではない」となるだろうか。

 新幹線開業時の国鉄総裁だった石田礼助の生涯を描いた一冊である。私欲に迷わず、権力に媚(こ)びず、在任中に勲一等を贈ると言われて「山猿だから勲章は合わない」と固辞した人物だ。

 城山さんは言い訳をしない人間を好んだと聞く。かつてお会いしたとき、流行語にもなった秀逸なタイトルに話が及んだ。「見るからに卑のにじむ人がいますが、そういう人に限って美学とか矜持(きょうじ)とかいう言葉を好んで口にしたがるようです」と苦笑していたのを思い出す。

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 城山さんも小津も天上から嘆いているに違いない。この国の権力の中枢はいま、荒(すさ)んだ「卑」の景色の中にある。

 国民は自分たちの程度に見合う政府しか持てないと、往々言われる。「この国民にしてこの政府」というきつい警句が議会制民主主義の本場英国には残る。

 その言葉に照らして、いまの永田町と霞が関に目を向ければ、私たちはこのレベルなのかとげんなりさせられる。中枢を担う政治家や官僚から、これほど横柄で不誠実な「言い逃れ」を聞かされ続けた歳月があっただろうかと思う。

 たとえば首相である。加計問題について、うそつきと言うなら証拠を示せと国会で力みながら、愛媛県の文書については「コメントする立場にない」とはぐらかす。森友問題の国有地売却価格への認識も、不都合な事実が表面化するや曖昧(あいまい)に翻した。類する場面は一再ではない。

 公文書の改ざんも発覚した。「記憶の限りでは会っていない」と言う側近官僚は疑念にまみれている。あるはずのものをないと言い、ないと言っていたものが出てくる。そうした中で首相は言葉だけで「信なくば立たず」を繰り返す。

 言(こと)を弾丸にたとえるなら、信用は火薬だと明治生まれの作家、徳冨蘆花が自伝小説に書いている。火薬がなければ弾丸は透(とお)らない。すなわち言葉は相手に届かない。かみしめるべき例えだろう。

 しっかりと、丁寧に、謙虚、真摯(しんし)、うみを出し切る――首相が並べたてる常套句(じょうとうく)はもはや、国民に届いていく力を失いつつある。そこへ露見したセクハラ疑惑が政官中枢の惨状に輪をかける。

    *

 非暴力抵抗を説いたインド独立の父ガンジーの暗殺から今年で70年になる。

 「立派な運動はいずれも、無関心、嘲笑、非難、抑圧、尊敬という五つの段階を経るものである」というガンジーの言葉は、理不尽とたたかい抜いた人の不屈の意志を示してやまない。

 それとともに、たたかう人々を勇気づける。最後の「尊敬」とは勝利の異名である。#MeToo(ミートゥー)を合言葉にセクハラ根絶を訴える運動が、早く尊敬を勝ち取るときが来るのを願うばかりだ。

 それにしても政権周辺の体たらくはどうだろう。当事者は見苦しく弁解し、財務大臣は薄ら笑いを浮かべ、ある議員は抗議する女性議員らを「セクハラとは縁遠い方々」とあざけった。首相側近の元文科大臣は告発を犯罪呼ばわりした。

 見えてくるのは、道理や人道というものへの暗さと、仲間内の論理で思考が尽きてしまう狭量ぶりだ。かばい合う。かくし合う。異論を言う者を見下す。思い上がった「権力の仲間内」という意識と構造が今の政治風景から透けている。

 ガンジーを精神的に支えた詩聖タゴールが言っている。「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱強く待っている」。深い洞察を思うとき、粗野にして卑なる景色はいっそう露(あら)わだ。

社会を支えている

この社会を好ましくない方向に向いている出来事や人間関係・・そして政治の動きも多い中で、朝日の一面トップに載っていたこんな記事は、TVでも時たま見かけることがあったこともあって、まだまだこのように取り上げられないひととひととのつながりが、どこかにもあることを示しているようで・・何か救われる思いです。

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子ども食堂、2200カ所超 自治体補助広がる 支援団体調査 朝日 2018年4月4日
 地域の子どもに無料か安価で食事を提供する「子ども食堂」が、全国に2286カ所あることがわかった。地域交流の場として認知度が上がったことに加え、「子どもの見守りの場」として期待する自治体からの補助金が開設を後押ししていることが背景にある。▼7面=なお資金難

 学者や各地の子ども食堂の運営者で構成し、食堂の支援と普及に取り組む「こども食堂安心・安全向上委員会」(代表・湯浅誠法政大教授)が3日、東京都内で発表した。1~3月に全国の社会福祉協議会から聞き取り、さらに子ども食堂の運営者らによる調査を集計した。最多は東京都の335カ所。最少は徳島、長崎県の7カ所だった。

 2016年5月に朝日新聞が各地の子ども食堂のネットワークや団体に聞き取って集計した時は319カ所。手法は異なるが、単純比較で2年弱で7倍超となった。

 子ども食堂は、貧困家庭や孤食の子どもに食事を提供する場として、12年ごろから注目され始めた。運営はNPO法人や民間団体、個人など多様だ。食堂の利用者を限定しない所も多い。誰でも利用できるようにすることで、「貧困の子どもが行く食堂」という印象が薄まり、地域交流や子どもを見守る環境が生まれやすくなる。

 こうしたことから、自治体が活動を支援する動きも出てきた。京都府は17年度に初めて約1千万円の予算を使って、開設(上限20万円)や運営費(1回上限1万円、年150日まで)として43団体を支援した。

 東京都では今年度から関係者の情報共有のため、市区町村が連絡会を本格的に設置する。連絡会への加入を条件に、活動1回につき上限1万円(年間上限24万円)の補助を始めた。