「子どもたちとの対話」から学ぶ・・・・・ 〔掲示板〕1237

【Q&A.なぜ私たちは記憶の中に生きるのか(1)】
『 Q: 事実についての記憶と心理的な記憶の間にあなたがする区別を説明してください。

A: さしあたり、事実についての記憶と心理的な記憶の間の区別を気にしないようにしましょう。なぜ私たちは記憶の中に生きるのでしょうか。記憶は私たちと別個のものでしょうか。あなたは記憶と違うのでしょうか。記憶とはどういう事でしょうか。

それはある事件、経験、感覚の残渣ではないでしょうか。昨日経験を持ちました。それはある跡、ある感じを残しました。言語化されていようがいまいが、その感じを私たちは記憶と言います。そして私たちはこれら記憶のすべて、これら残渣のすべての総計です。

確かにあなたはあなたの記憶と違いません。意識的記憶があります、無意識的な記憶も同様にあります。意識的な記憶は容易に、自発的に応答します。そして無意識の記憶は非常に深く、隠れていて、静かで、待機しており、注意深いのです。

そのすべては、確かに、あなたと私です。人種的なもの、集団、特定のもの―そのすべて、それら記憶のすべてがあなたと私です。あなたはあなたの記憶と違いません。あなたの記憶を除いて御覧なさい、どこにあなたはいますか。それらを除くなら、あなたは精神病院の世話になるでしょう。

しかし、なぜ心は―それは記憶の、過去のものの結果です―、なぜ心は過去のものにしがみつくのでしょうか。それが問題です、そうではないですか。なぜ心は―それは過去の結果です、それは昨日の、多くの昨日の結果です―、なぜ思考者は昨日にしがみつくのでしょうか。

何の情緒的な内容もない記憶は、その意義を持っています。しかし私たちはそれらに、好きとか嫌いというような、情緒的な内容を与えます。これを私は保持しよう、あれは保持すまい、これを私は考えよう、そしてあれは歳を取ったときにじっくり考えよう、あるいは将来において続けよう。

なぜそうするのでしょうか。確かにそれが問題ではないでしょうか。事実についての記憶や心理的な記憶を忘れなければならないということではなく。なぜなら、すべての印象、すべての応答、あらゆるものがそこにあるからです、無意識に。あなたが切り抜けてきたあらゆる出来事、あらゆる思考、あらゆる感覚がそこにあります―隠され、覆われて、しかしなおそこに。

そして歳をとるにつれて、私たちはそれらの記憶に戻り、条件付けにしたがって過去の中に、あるいは未来の中に生きます。私たちは若かったときに持った楽しい時代を思い出します。あるいは将来を、そうなるつもりのことを考えます。

それゆえ、私たちはこれら記憶の中で生きます。なぜ。私たちは、あたかも私たちがそれらの記憶と異なるかのように生きます。確かにそれが問題ではないでしょうか。』(K)


私の学習経過:

『なぜ私たちは記憶の中に生きるのか。』

『心は過去の結果です。なぜ心は過去のものにしがみつくのか。』

『歳をとるにつれて、私たちは記憶に戻り、条件付けにしたがって過去の中に、あるいは未来の中に生きる。若かったときの楽しい時代を思い出し、将来そうなるつもりのことを考える。』

『私たちは記憶の中で生きる。記憶と異なるかのように生きる。それが問題ではないか。』

私たちが『記憶の中に生きる』とはどういうことなのか。それは「現在」とどういう関係にあるのか。現在は過去にとらわれて生きていることなのか・・・。